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[GDC 2025]Valveには黎明期を支えた女傑がいた。Microsoftを辞めて,マーケティングを担当していた創業者の元妻がその内幕を語る
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印刷2025/03/21 16:52

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[GDC 2025]Valveには黎明期を支えた女傑がいた。Microsoftを辞めて,マーケティングを担当していた創業者の元妻がその内幕を語る

Valveの黎明期を支えたモニカ・ハリントン氏。今はゲーム業界に関わっていないが,あることを明白にするため,久々にGDC 2025へとやってきた
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 GDC 2025において,ゲーム業界では知る人ぞ知るモニカ・ハリントン(Monica Harrington)氏が,「ValveはどうしてValveになったのか: その内側を知る人の話」(How Valve Became Valve: An Insider's Account)と題したトークセッションを行った。

 コアなゲーマーがValveと聞くと,ゲイブ・ニューウェル(Gabe Newell)氏のことを連想するだろうが,その共同創業者だったのが,同じMicrosoftのエンジニアだったマイク・ハリントン(Mike Harrington)氏だ。

 1983年にMicrosoftに入社したニューウェル氏は「Windows」の初期3バージョンを担当したエンジニア部門のリーダーだった。ハリントン氏は「Red Baron」などで知られたゲーム会社DynamixからMicrosoftに移り,「Windows NT」の開発を担当していたという間柄だ。

 今回セッションを行ったモニカ・ハリントン氏は,マイク・ハリントン氏と社内結婚していたソフトウェア部門のマーケティング担当者だ。
 1980年代中期に入社して頭角を現し,「Windows」や「Office」,さらには「Microsoft Flight Simulator」に至るまでのソフトウェアのマーケティングを担当した。

 彼女はビル・ゲイツ(Bill Gates)氏や,当時はマーケティングディレクターだったメリンダ・ゲイツ(Melinda Gates)氏に直接報告するマネージャーにまで上り詰めており,1995年2月には,1600人いたマーケティング部門で前年度の最も売り上げに寄与した人物として,社内で表彰を受けたこともあったという。

 以下,モニカ・ハリントン氏は「モニカ氏」,マイク・ハリントン氏は「マイク氏」と表記する。

Valveの価値を大きく高めることになった「Half-Life」も,2023年で25周年を迎えた
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夫とその友人が,いきなりMicrosoftを退職


 そんな彼らの転機となったのが,1995年3月にリリースされた「Microsoft Bob」だ。Bobは初期型のバーチャルアシスタントだったが,子供向けのようなデザインが批判されたうえ,ビジネスメインのWindowsユーザーに仕様が不人気だった。

 モニカ氏によると年明けの業界イベントでは,小売りチェーンの大手から「Bobやその改良版が出るならWindowsは扱わない」とまで言われたという。これをゲイツ夫妻に報告したところ,すでに進められていたBobの後継版は開発中止となったそうだ。

 そうした販売不振やスケジュール調整もあり,Microsoft内部では広く2か月にわたる有給休暇が従業員一同に認められ,モニカ氏もマイク氏も休暇を取ることにした。
 ハリントン夫妻はボートを趣味にしており,モニカ氏は10年間近い仕事づくめの生活から離れ,ゆっくりと旅をしたいと願っていたという。

 ところが,マイク氏は別の計画を練っていた。1995年末には,Windows部門のエース級プログラマーだったマイケル・エイブラッシュ(Michael Abrash)氏が,「DOOM」の大ヒットで大きなスポットライトを浴びていたid Softwareに移籍していた。
 それに影響を受けたのか,マイク氏はニューウェル氏とともにゲームビジネスの立ち上げを影で進めており,1996年に突然Valveを起業した。モニカ氏が二人の計画を知ったのは,マイク氏が5か月分のオフィス賃貸料を支払ってきた後のことだったという。

 モニカ氏はマイク氏から「id Softwareからテクノロジーをライセンスし,素早くゲームを開発。少なくともゲームメディアから3つの表彰を受け,その年のトップ10タイトルにする」という漠然とした計画を打ち明けられたという。
 ゲームビジネスに詳しくはなかったモニカ氏は,そこから自分でゲームビジネスを学んでいったそうだが,学習するにつれて,その競争の激しさに愕然としたと回顧していた。

モニカ氏は,Microsoftのマーケティングで頭角を現していた若手のエースだった。ところが夫だったマイク氏がMicrosoftを飛び出したことで,人生の大きな転機を迎えていくことになる
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 また,ニューウェル氏とマイク氏は当初,自分たちのゲームをMicrosoftにパブリッシングしてもらえると考えていた。しかし,当時のMicrosoftは,辞職して人材の引き抜きまでを行った彼らを快く思っていなかったため,話には乗って来ず,起業したばかりのValveはさっそく暗礁に乗り上げる。

 これは,Microsoftに在職していたモニカ氏にとっては大きな問題だった。当時は,開発会社が自分でゲームを流通させてビジネスを育ててていくことは不可能に近く,Valveが,Microsoftの競争相手となり得るパブリッシャと契約するしかなかったからだ(Valveはやがてそれを「Steam」で変えていくことになるわけだが)。

Valveが設立されたころの,初期メンバーの集合写真。あのニューウェル氏(中央)とマイク・ハリントン氏(その右)がまだ30代前半のころで,すでに経済的な余力もあってモニカ氏を含める3人はボートを趣味にしていた
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Siera On-Lineとの出会い


 有給休暇を終え,モニカ氏が最初に向かったのが,当時Microsoftのゲーム部門を率いていたエド・フリーズ(Ed Fries)氏のところだった。

 モニカ氏は,「Microsoftを辞職した夫らがゲーム会社を立ち上げ,Microsoft以外のパブリッシャと契約する」という内情を説明すると,フリーズ氏はマイク氏らの独立を祝福したという。
 Valveはまだ,Microsoftの競合となるようなゲームさえ作っていなかったわけで,まだフリーズ氏ら幹部陣が心配するようなことでもなかったのだ。

 マイク氏が相談を持ちかけたのは,当時の北米ゲーム業界のメジャーなパブリッシャで,Valveのオフィスからも程近いところに本社を構えていたSierra On-Lineだった。

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 Sierra-Onlineで決定権を持つ幹部にオフィスに来てもらい,企画を見てもらう予定だったのだが,幸か不幸かその日は大雪になってしまい,Valveのオフィスにたどり着いたのは,CEOで数々のアドベンチャーゲームを生み出していたケン・ウィリアムス(Ken Williams)氏だけだった。
 お互いゲームプログラマーという間柄でもあったため,話はトントン拍子で進み,当時のゲームビジネスでは,Microsoftも手が出せないSierra On-Lineがパブリッシャとなった。

 モニカ氏によると,Sierra On-Lineから提供された前払金は100万ドルほど。すでに,マイク氏とニューウェル氏は,Microsoftのストックオプションを手放して得た数十万ドルの費用を起業につぎ込んでいたが,ゲーム開発を続けるにはさらに自腹を切る必要があった。

 「Half-Life」のデモは1997年6月に開催されたE3(Electronic Entertainment Expo)で公開され,イベントで発表された「ベストアクションゲーム」を獲得したことで,注目度が高まった。
 しかし,Valveの経営を苦しめていたのは,ニューウェル氏とマイク氏の雇用スタイルだったとモニカ氏は語る。モニカ氏には分からない,プログラミングやデザイン上の特別な才能を持っている人物をWebで探し出してきて,拒否されてもオファーを出し続けるというスタイルだ。

 例えば,「Half-Life」のネットコードを担当したヤーン・バーニアー(Yahn Bernier)氏は,夜に自分の趣味だったゲーム作りをし,昼間は弁理士という本業を持っていた。
 マイク氏は,ジョージア州アトランタに住むバーニアー氏を口説き落として,彼の妻と共にワシントン州にある自宅での晩餐に招いたそうだ。ヤーン氏の妻はその数日前まで,夫がゲーム作りを趣味にしていることを知らなかったという。

 そして,こうした有能な開発者が増えるたびに,まだ収益のないValveの資金源や従業員の月給となっていたのが,ニューウェル氏とハリントン夫妻の懐だったのだ。

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「Half-Life」の作り直しで資金繰りも悪化の一途へ


 資金繰りが悪化していたValveに,さらに追い打ちがかかる。
 技術屋であるマイク氏やニューウェル氏が作っていた「Half-Life」のゲームデモは,ゲームというよりもテクノロジーデモに近く,プレイテストをする人の顔が楽しそうでないということをSierra On-Lineに指摘されたのだ。Valveの開発者たちもそれを認めざるを得なかった。

 Microsoftに出入りしていたゲーム開発者からは,モニカ氏の夫が関わっていることを知ってか知らずか,「Microsoftの元社員が,id Softwareからエンジンをライセンスしたらヒット作ができると思っているらしい」などと陰口を話しているのも聞こえてきたという。
 モニカ氏によると,結局Valveは「Half-Life」のコードは一度すべて捨てて,新たなものを作り直す決断をしたという。

 これによって「Half-Life」の1997年末リリースはなくなり,1998年度への発売延期が決定したが,これがきっかけとなってSierra On-Lineとの関係も冷めていった。

 この当時,Microsoftは「Microsoft Flight Simulator」に加えて,「Age of Empires」というヒット作となるプロジェクトを抱えていたが,同時に開発中止が決まるプロジェクトも少なくなかったらしい。

 そんな折,夫が関わる「Half-Life」が世間で注目されることになったのだから,モニカ氏は「2つの競合メーカーの内情を知りすぎた人物」として,Microsoftでソフトウェアのマーケティングを担当していくことに居心地の悪さを感じるようになっていたという。

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 モニカ氏もMicrosoftでは一目置かれたマーケティングの専門家なので,何とか辞めないように諭されたらしいが,ハリントン夫妻はすでにValveの経営に大金をつぎ込んでいたこともあり,1998年春にもなると,Microsoftを辞職して,売却したストックオプションをValveの経営に利用した。

 また,仕事だけではないValveのメンバーの人生に多少なりとも関係していたことで,ハリントン夫妻は大きなストレスを抱えていたという。

お金のない時代は,ハリントン夫妻は部下を自宅に招いてバーベキューパーティをしていたという
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 成功に胡坐をかく巨大企業でのマーケティングと,スタートアップ企業のマーケティングはまったく異なる。メディア向けの資料やウェブサイトの文言を自作したモニカ氏は,「Half-Life」の1998年末のリリースに向けて,本格的な準備に取り掛かったが,モニカ氏が心配していたのが「海賊版」の問題だった。

 というのもモニカ氏の甥っ子が,ゲームを違法コピーしていたことが発覚したのだ。彼はモニカ氏が誕生日に挙げたお金でCD-ROM複製機を買い,違法コピーしたゲームを友達に配っていた。
 マイク氏らValveのプログラマー陣は,急遽「認証システム」の開発に取り掛かるが,これがやがて「Steam」を支えるテクノロジーへと昇華していくことになるわけだ。


祝福されないモニカ・ハリントン氏の奮闘


 パブリッシャとの関係が冷えていたValveだが,Intelとのタイアップ向けにSierra-Onlineに提出していた「OEM候補版」が改良され,Valveの承諾なしに「Day One」版というゲーム冒頭の体験版が無料で公開されてしまう。

 当然Valve側はこれに怒り心頭になるとともに,未完成のままリリースされたもので評価が下がることを心配したそうだが,結果としてこれがゲーマーの間で大きな話題となり,1998年11月にリリースされた「Half-Life」の大成功につながった。

 しかし,モニカ氏には大きな誤算があった。それは,今までモニカ氏が目を通したことがなかった,夫らがSierra On-Lineと取り交わした契約書にあったのだ。
 その契約書によると「Half-Life」の成功でValveが獲得する取り分は15%に過ぎず,仮にメキシコへ社員旅行に出かけるとすると,成功報酬として経営者に残されるものは何もなかった。さらに,Half-Life3作をSierra On-Lineからパブリッシングするという条項もあったらしい。

 結果としてValveは,「IPをHalf-Lifeだけに頼らない」経営を目指すことになり,ポートフォリオの多角化によってオーストラリアでMODを開発していたロビン・ウォーカー(Robin Walker)氏とジョン・クック(John Cook)氏という二人組を正式メンバーに入れ,1999年4月に「Team Fortress」をリリースした。

 モニカ氏も,自身で企業としての経営の安定を模索していたが,そんな折にたどり着いたのがAmazonだ。
 当時,Amazonはまだゲームビジネスには参戦していないが,担当者として出てきた男性が,「以前はどうも」とあいさつしてきたという。その人は,モニカ氏がMicrosoft時代に就職面接を行った際に担当し,不採用とした人物だったのだ。
 その人物は,面接の際にモニカ氏から「あなたのスキルなら,最近話題になっている本のオンライン販売ビジネスが向いているかも」と薦められていたそうで,その後,Amazonに就職して担当部門の副社長となっていた。

 そんな間柄も考慮されたのかAmazonは後日,Valveに対して「3年で5億ドルの投資」という破格の条件を出してきたものの,マイク氏とニューウェル氏はこの話を受けなかった。
 結果としてValveが独立を維持したのは大成功だったが,この契約がとん挫したことで,モニカ氏は気まずい思いをすることになったのかもしれない。

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 マイク・ハリントン氏とモニカ・ハリントン氏は,2000年にはValveを辞めている。
 これについてニューウェル氏は,かつて海外メディアとのインタビューで「マイクは次回作で失敗することに恐怖を感じていた」と語っていた。
 しかし,モニカ氏によれば「二人ともバーンアウト(燃え尽き症候群)になっており,昔からの夢だったボートでの旅行をする機会がその時にしかないと考えた」というのが,退職の理由だったという。実際に二人は23メートル級のヨットを購入し,それで4年間にもわたる世界旅行を楽しんだそうだ。

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 その間,ValveはSierra On-Line(Sierra Studios)から「Half-Life」のIPを取り戻し,2003年には「Steam」を,2004年には「Half-Life 2」を発表し,今日のValveへと成長していったのはご存じの通りだが,黎明期にハリントン夫妻の奮闘がなければ,Valveは存続できていなかったかもしれない。

 世界旅行の後,マイク氏は基金の設立やスタートアップ企業の運営に携わり,モニカ氏も過去の縁からビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団のマーケティングを任されるなど,その活動の輪を広げていったが,2016年に夫妻は離婚している。

 Valveは2023年11月,「Half-Life」発売から25周年を祝い,「Half-Life: 25th Anniversary Documentary」という1時間にも及ぶドキュメンタリー映像(関連リンク)を公開している。そこにマイク氏の姿やコメントはあるものの,モニカ氏の姿は影も形もない。

 モニカ氏は,「マイクがいなかったらValveは成功しなかっただろうと私は理解しています。もちろん,ゲイブがいなくても成功しなかったでしょう。そして,私がいなかったら,同様に成功しなかったと確信しています。当時の経緯をすべて知っている友人は,あなたは創業パートナーだったと言います。人生のある時期,私はValveのためにすべてを捧げていました」と今回の公演の最後で語り,会場から大きな拍手を得ていた。

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