連載
ソニーのMSX2「HB-F1」に約30年ぶりに触れて感じたこと(「買い物Surfer」第15回)
今からさかのぼることウン十年前,当時小学校低学年だった筆者は,エポック社の野球盤や任天堂のゲーム&ウオッチなどを次々と制覇し,より本格的なゲームを探し求める毎日に明け暮れていた。しかし,当時の最先端ゲームはアーケードゲームが主流で,それが多く置かれているゲームセンターは薄暗く,不良のたまり場というレッテルも貼られており,子供が通うのは至難の業である。親の目をかいくぐってコソコソとゲームセンターに通い,見つかってはこっぴどく叱られ,それでも懲りないガキンチョだった。
そんなある日,当時住んでいた自宅(神奈川県川崎市)から徒歩1分の場所に,パソコンゲームのレンタルショップがオープンした(※注1)。展示機で動いていた「ザ・キャッスル」や「ドラゴンスレイヤー」などのゲームはあまりにもきらびやかで,まるでショーウィンドウのトランペットを物欲しげに眺める黒人少年のような心持ちで通い詰めた。
その様子を見かねた父が,「まぁ,ゲームだけじゃなくてプログラムも頑張ってくれるのなら」という条件で,比較的安価なパソコンのMSXを買い与えてくえた。機種は“キングコング”の愛称で知られる,松下電器の「CF-2000」だったと記憶している。
カセット交換式の本格的なゲーム機(※悪いがプログラムは眼中に無かった)を初めて手にした筆者は,もう気が狂うかと思うくらいに嬉しかった。
MSX本体と一緒に買ってもらった「ボコスカウォーズ」は,けっきょく最後までクリアできず,それどころかどんなゲーム内容なのかすら理解できていなかったが,そんなのは何の問題でもなかった。入力したキーに応じて,テレビ画面に映し出されるキャラが動くだけで,もう十分すぎるほど新鮮だったのである。いまの若い読者に,この感覚を理解してもらうのは難しいかもしれないが。
その後も,「プログラムも頑張ってるから!」と父に時折アピールすることを忘れず(※頑張ってはいなかった),多くのMSX向けゲームを遊んできたが,小学校低学年には難しいものばかりだった。しかも当時は,今のようにネットで攻略情報を調べられない。唯一頼りにしていた情報源は,月刊誌のマイコンBASICマガジンに掲載される,山下 章氏によるQ&Aコーナーという時代である。
それでも,友達と一緒に攻略法についてああだこうだと語り合ったり,その先に待ち受けている展開を思い描いたりと,自分なりに存分にMSXのゲームを満喫していた。
このように,「ゲーム=クリアできなくて当たり前」という認識だった筆者にとって,「ハイドライド」には心底衝撃を受けた。というのも本作は,初めて自力で最後までクリアできたゲームなのである。そのときの喜びは,今思い返しても筆舌に尽くしがたい。ゲームとはこのようなものだったのかー!!!と。
それはもう飽きることなく,幾度となくハイドライドをクリアした。しまいにはラスボスの悪魔バラリスを倒す直前のゲーム再開用パスワード(※英数字で11桁)を暗記し,友達を自宅に次々と招いては華麗な手さばきでクリアする様を見せつけ,得意げに感想を聞いていた。父に至っては毎晩見せた。プログラムじゃなくてごめん。
MSXとは,その後も本体を何回か買い増しするくらいの長い付き合いとなり,それと並行して歴代の家庭用ゲーム機も遊び倒し,インターネットを知った後はテレホマンを経てネトゲ廃人となり,今はこうして4Gamerで記事を執筆する日々を送る。そんな筆者にとって原初のゲーム体験がMSXであり,ハイドライドなのである。
昔語りはこの辺にして本題に戻るが,押し入れに無造作に突っ込まれていた唯一のMSX本体(東芝のパソピアIQ)は,隅々まで完膚なきまでに埃まみれだったので,レトロゲームファンにはおなじみのBEEP秋葉原にメールで問い合わせてみた。
同店によるとMSXシリーズは在庫が豊富にあるそうで,筆者が最も長く使い込んだソニーの「HB-F1」や,ハイドライドを始めとしたゲームソフトの数々をダメモトで伝えたところ,なんと全部揃っていると言われて驚いた。同社の倉庫がどんな感じになっているのか,取材にかこつけてぜひ見学してみたい。
ハイドライド等のMSXゲームに関しては,これまでも数年おきに遊びたくなる衝動に駆られて,その都度プロジェクトEGGで購入したり,YouTubeで見たりするのを繰り返していた。しかし今回実機に触れてみて,得られる情報量の次元がまったく違うことを思い知らされた。ゲーム内容だけでなく,一緒に遊んだ友達や学校生活のことが,まざまざと脳裏によみがえってくるのである。
HB-F1ならではの特徴として,ゲームスピードを強制的に変更できるスライドキーが搭載されているが,当時はこれを使ってDJの真似事なんかもしていたっけ。
この機種は3万2800円という低価格で登場し,テレビCMに松田聖子さんを起用したことも相まって,かなりの台数が売れたそうだ。ちなみに当時は,パナソニックの「FS-A1」シリーズも人気だったが,こちらのイメージキャラはアシュギーネであり,HB-F1とはプロモーション戦略の方向性が180度違っていたのも面白い。
あの頃のMSX市場では各メーカーがしのぎを削り,現在でいうところのAndroidスマホにも近い様相を呈していたのだ。
しかし一方で,ちょっと躓(つまづ)いたからといってクソゲーなどと投げ出さず,とりあえずは何か楽しめる方法がないか模索をしてみる習慣が,この頃に自然と身に付いていたのだと気付かされた。そしてこの習慣は,現在の生業において極めて役に立っている。
たとえどんなに優れたゲームだろうが,その気になればいくらでも難癖を付けられるが,そんなことをして何が生まれるのか。ゲームに心を動かされ,その魅力を広く伝え,そして文化に僅かでも貢献したいと考えたからこそ,この生業を選んだのではないか。まぁ,そんなことをあらためて自問したりもした。
というわけでベーマガを片手に挑戦したのだが,結果はというとダメだった。残念なことに,筆者は老眼が始まっていたのである。
だが,そうでなくても,雑誌とモニターを交互に見ながらプログラムを手入力するのは,なかなか根気の要る作業であろう。それは同時に,当時の若きプログラマーにとって,きっと心に刻み込まれる体験だったに違いない。
いまもゲームミュージック界における第一人者である古代祐三氏を筆頭に,ベーマガの投稿者のなかにはその後,各方面で活躍する人材が多数いると伝え聞くが,それも深く頷ける。
このように,今回久々にMSXに触れたことで色々なことを考えさせられた。また仕事に対しても,あらためて前向きな気持ちになれた。たまには昔のことを振り返るのも悪くない。
近年のレトロゲーム市場は全体的に高騰しており,今回のHB-F1の中古販売価格も“時価”であった。なにぶん古い機器なので,個体によって損傷具合が大きく違っており,場合によってはメンテナンスやオーバーホールも必要となる。無保証のネットオークションなどと比べると,BEEP秋葉原での販売価格は良いお値段なのだが,それ相応の理由があるわけだ。
さらに,レトロゲーム市場における製品の供給は当然減る一方で,今後も値上がりすることはあっても,大きく値が下がるとは考えにくい。もし,思い入れのある機器があるのなら,高嶺の花になる前に入手するのも一つの手かもしれない。
なお,記事でも少し名前を出したプロジェクトEGGにおける,レトロゲームのラインナップはかなり充実しており,ゲームプレイに限ればこちらも検討に値する。当時の経験者なら,タイトルのラインナップを眺めているだけで懐かしさが込み上げてくること請け合いなので,こちらもぜひチェックしてほしい。
※注1:うろ覚えなのだが,この店舗名は「ソフマップ」だった気がする。“あの”ソフマップは,創業期においてゲームレンタル事業を行っていたことが知られているが,この店舗がそうなのかどうかは,今回調べた限りでは分からなかった。長年気になっているので,もしご存じの読者がいたらTwitterのコメント等で教えてくれると嬉しいです
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「BEEP秋葉原」公式サイト
「プロジェクトEGG」公式サイト
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