連載
中世暗黒時代はなぜ生まれた? 作品を“深堀り”するための「中世ヨーロッパ ファクトとフィクション」(ゲーマーのためのブックガイド:第26回)
「ゲーマーのためのブックガイド」は,ゲーマーが興味を持ちそうな内容の本や,ゲームのモチーフとなっているものの理解につながるような書籍を,ジャンルを問わず幅広く紹介する隔週連載。気軽に本を手に取ってもらえるような紹介記事から,とことん深く濃厚に掘り下げるものまで,テーマや執筆担当者によって異なるさまざまなスタイルでお届けする予定だ。
ファンタジーと聞いて中世ヨーロッパ風の世界を思い浮かべるのは,昨今のゲームやアニメではもはや“お約束”のようなものとなっている。しかし,これは何も日本に限ったことではない。古くは「ウルティマ」や「ウィザードリィ」,あるいはその前身である「ダンジョンズ&ドラゴンズ」からして,基本的には中世風の世界を扱っているし,物語の雰囲気や出てくる固有名詞等こそ異なれど,共通した特徴を持っている。
ゲーマーなら誰しもが承知しているように,これらの作品は厳格な形で史実に即しているわけではなく,独自のアレンジが施されている。各地の神話や伝承の要素がふんだんに盛り込まれ,自由な想像の成果を盛り込むための「器」として,中世風の世界が再提示されているわけだ。では,実際どうだったのか? それを考えるときに役立つのが,ウィンストン・ブラック氏の「中世ヨーロッパ ファクトとフィクション」である。
「中世ヨーロッパ ファクトとフィクション」
著者:ウィンストン・ブラック
監訳:大貫俊夫 ほか
版元:平凡社
発行:2021年4月23日
定価:3200円(+税)
ISBN:9784582447132
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平凡社「中世ヨーロッパ ファクトとフィクション」紹介ページ
本書では前提として,ゲームやドラマといったフィクションを媒介とした中世理解を,「中世主義」という表現で端的にまとめている。面白いのは,中世主義は一過性の流行ではなく,18〜19世紀頃から興隆してきた「伝統」だとしていることだ。
その背景には,アカデミックな研究も深く絡み合っている。昨今は,ゲームを入口として研究に興味を持ったと公言する学者も増えてきたが,その種の話に留まらない。ジュール・ミシュレのような古典的な歴史学者たちの仕事が,実証主義の立場から中世主義を否定するものというより,普及に“貢献”したものとして頻繁に言及されるのだ。創作者と研究者,そして読者が「共犯関係」を結ぶことで,中世主義は成立している。
ゆえに本書は,Q&A形式で「フィクション(表象)」と「ファクト(史実)」をはっきり腑分けするところから出発する。根幹にある姿勢は,世間一般に今なお流布されている「中世は暗黒時代だった」というイメージを覆すことだ。
5世紀から15世紀初頭までの間,中世にはまともな書物もなく野蛮人が暴れまわり,歴史や医学を知らず,まるで入浴もせず,人々は魔女狩りに汲々としながら,厳格な教会に生活のすべてを統制されていた……。こうした印象は,すべて間違いだというのが本書の立場である。
ただ,本書の監訳者である大貫俊夫氏からして,それこそ“中世ヨーロッパ警察”のごとく,いたずらに間違いを指摘して回ることをよしとしているわけではない。例えばドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」のように,暗黒時代としての中世観を採用するフィクションにも傑作が数多く存在し,それらが魅力的だからこそ,長きにわたって支持されてきたことを承知しているからだ。
戦争の中心は騎士ではなかった
もう少し具体的に中身を見ておこう。本書は11章から構成されているが,本稿ではとくに印象深かった2つの章を紹介したい。
まずは第5章の「中世の戦争は馬に乗った騎士が戦っていた」だ。全身を板金鎧(プレートメイル)に包んだ騎士たちが,突撃用のランスを構え,軍馬を駆って激しくぶつかり合う光景が,まずもって中世の戦争だった,というものである。
しかし,そればかりが中世の戦争ではない,と本書は指摘する。「Sid Meier's Civilization」のようなストラテジーゲームの描写にすら,「空想の戦術と実際の戦術が入り混じっている」と述べるのだ。
史実でのメインは歩兵であり,騎兵は歩兵や弓兵の支援なしには活躍できなかった。それに練度が低い騎士は,鎧を来たまま落馬したら短剣でも容易に殺されてしまう。平原での会戦よりは,弩級や大砲,攻城兵器が決め手となる砦攻めなどが多く記録されている。
19世紀になると,ウォルター・スコットに代表されるロマン主義の小説家が騎士道小説「アイヴァンホー」(1820年)を発表,中世主義を代表する作品とみなされる。「エクスカリバー」(1981年)や「ロック・ユー」(2001年)といった騎士たちが華々しく活躍する映画は,理想像としての騎士たちを,映像的に表現しようとしたものだった。
もちろん,現代人が中世にタイムスリップするマーク・トウェインの小説「アーサー王宮廷のコネティカット・ヤンキー」(1889年)のようなパロディも早くから書かれていた。この方向性で外せないのが,コメディ映画「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」(1975年)なのだが,出演者の1人テリー・ジョーンズは中世学者でもあったので,衣装類の考証は正確。ただ,実際にあった戦争を伝えるよりも,むしろ華やかな騎士道のイメージを転倒させて笑いに変えることが目論まれていた。
表象と史実のままならない関係
この「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」は,第10章「中世の人々は魔女を信じ,火あぶりをした」でも言及される。十字軍や黒死病といったお定まりの題材とセットで,魔女を扱うフィクションとしてだ。しかし,中世の人々は魔術や迷信を信じていたものの,残酷な魔女狩りが本格化するのは宗教改革以降,ようやく啓蒙主義の時代に入ってからのことだ。
どうしてこういうズレが生じるのか? 本書ではミシュレの「魔女」(1862年)の影響が大きいと説明される。ミシュレはカトリック教会を悪役に据えることで,中世全体において魔女が迫害されたようなイメージを植え付け,かつサバトや黒ミサで悪魔と奔放に交わる女性といった性的なイメージを強調した,というのである。
ただ,「なるほど,ミシュレが悪いのね」で片づけられるほど単純な話ではない。本書ではミシュレが,まるで史料に依拠せず想像の赴くままに歴史を紡いだかのように語っているが,それもまた行き過ぎであると,監訳者の大貫氏が著者ブラック氏の表現に釘を指しているからだ。
また,本書では魔女狩りがドイツやアメリカのようなプロテスタントの諸地域でのみなされたように書いてあるが,10章の訳者・前田 星氏は,「実際は一部のカトリック地域でも激しい迫害があった」と,注釈で突っ込みを入れている。
作品の価値は,史実に忠実かどうかで決まるものではない。しかし知識があれば――それこそ騎士道の成立や魔女の在り方がどういうものだったのかを知っていれば,個々のイメージが豊かになり,より高い解像度で作品を楽しめるのは確かだ。あるいは作品を入口として,周辺の知識に手を伸ばしていくのもまた,深掘りの醍醐味の一つだろう。
本書を面白いと思った方は,基本書たるマイケル・アレクサンダー「イギリス近代の中世主義」(野谷啓二訳,白水社,2020年)にも手を伸ばしてほしい。それこそ「アイヴァンホー」から,J・R・R・トールキンやC・S・ルイスら,ファンタジーRPGの参照先になったファンタジー小説の書き手にまで至る,豊かな背景に触れられるはずだ。
近年,盛り上がりを見せている“中世もの”のコミックやアニメに関心のある方は,大貫氏の論考「『チ。 ―地球の運動について―』をめぐるファクトとフィクション」(「ユリイカ」2023年1月号)が参考になると思う。
■■岡和田 晃(翻訳家,文芸評論家)■■
TRPGやボードゲームを扱う専門書籍「Role&Roll」(新紀元社)にて,待兼音二郎・見田航介の両氏と,ゲームで扱われる中世と現実の違いを解説する「戦鎚傭兵団の中世“非”幻想事典」を2011年から連載中。中世カタリ派を演じるTRPG「モンセギュール1244」(ニューゲームズオーダー)を翻訳し,西洋中世学会若手セミナーの題材にもなった。最近の仕事に「ダンジョンズ&ドラゴンズ ドリッズトの伝説 ヴィジュアル大百科」(共訳,グラフィック社)など。
平凡社「中世ヨーロッパ ファクトとフィクション」紹介ページ
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