イベント
カナダ・バンフで技術カンファレンス「REBOOT Develop RED」が開催。オープニングと須田剛一氏による基調講演をレポート
このカンファレンスの大きな特徴は,高級リゾートホテルを会場として使うということだ。もちろん技術カンファレンスであるから,参加者にとってみると講演を通じた技術交流は重要なポイントとなる。だがそれと同じくらいに,リラックスした空間での開発者同士の交流や,パブリッシャとの商談というものも魅力となっている。
さて,そんな順風満帆なREBOOT Developが,ついにアメリカ大陸へと進出した。カナダの高級リゾート地であるバンフに建つ由緒あるホテル「Fairmont Banff Springs Resort」を会場として,技術カンファレンス「REBOOT Develop RED」が開催されたのである。
とはいえこの挑戦的なイベントには,謎も多かった。
まずそもそも,ヨーロッパを本拠地とする会社が海を越えて技術カンファレンスを開催するとなると明らかにコストが嵩む。そして確かにカナダはゲーム産業が急成長している国とはいえ,常識的に考えればアメリカで開催したほうが参加者は多いだろう。いったいなぜカナダでREBOOT Develop REDが開催されるに至ったのか? REBOOT Develop REDのオープニングセレモニーでは,その謎についての破天荒な答えがCEOの口から語られた。
またオープニングの後は,須田剛一氏(グラスホッパー・マニファクチュア)による基調講演となった。こちらもまた大変に斬新な講演だったので,なるべく詳しくお伝えしたい。須田ファンであれば見逃せない情報がてんこ盛りである。
会場となるFairmont Banff Springs Resort。1888年創業,幽霊伝説もある由緒正しいホテルだ |
ホテルのロビー |
「瓢箪から駒」で始まったREBOOT Develop RED
壇上に立ったĐurović氏の「REBOOT Develop REDは今後少なくとも3年は継続して開催する」という力強い第一声とともに始まったオープニングセレモニーだが,氏はすぐに「ここにいる多くの人が抱く疑問」として「なぜカナダ,しかもバンフで開催することになったのか」があるだろうと指摘した。極めて尤もである。
その秘密は,モントリオールを本拠地とするPanache Digital GamesのCofounderでありCreative DirectorでもあるPatrice Désilets氏との交流にあったという(言うまでもないと思うが,Désilets氏はアサシンクリードシリーズのCreative Directorだった人物だ)。
かくして壇上に招かれたDésilets氏だが,Đurović氏との最初の出会いは「SNSのLinkedInで何度も何度も執拗にメッセージを送られたこと」だと明かした。当初「誰だコイツ」程度にしか思っていなかったDésilets氏だが,Đurović氏の熱意にほだされるようにして開催2年目のREBOOT Developに参加。そこでこのイベントが持つ魅力と可能性に納得し,以降は常連参加者となったのである。
もちろんこれはĐurović氏にとっても嬉しい話である。「アサシンクリードのPatriceがそこらへんをブラブラしている」カンファレンスということになれば,それだけでもイベントにとっておおきなアピールポイントとなり得る。またDésilets氏はこれ以外にもĐurović氏に様々なクリエイターを紹介するなど,REBOOT Developの発展を大いに助けてくれたそうだ。
さて,そんなこんなでDésilets氏への感謝の念が深まっていくなか,REBOOT Developの運営サイドでちょっとした,本当に些細な問題が発生した。当日用パンフレットのページが1ページ,どうしても埋まらなくなってしまったのだ(ちなみにREBOOT Developのパンフレットはちょっと信じがたいタイミングで入稿され印刷されている模様。その界隈の専門用語で言えば,ぶっちぎりの「極道入稿」である)。
というわけで,「時間もないことだしちょっとしたジョークのページにでもするか」と考えたĐurović氏は,Désilets氏への感謝を示すためにも,REBOOT Developの写真にメープルリーフをあしらったページを差し込むことにした。
だがこのページは想定外の余波をもたらすことになる。SNSを中心として「REBOOT Developはカナダで開催されるのではないか?」という推測が広まったのだ。事故も事故,大事故である。
とはいえSNSでの情報拡散がブランドの価値をも左右する可能性を秘めた現代にあって,このような誤情報に対しては適切なかつ迅速な対応が必要となる。かくして「REBOOT Developがカナダで開催されるという情報を信じないでほしい」と言わねばならないと考えながら挨拶の壇上に立った当時のĐurović氏は,マイクを手にこう宣言した。
「REBOOT Developをカナダで開催します」
焦っているときの人間とはこんなものである。
当然だがĐurović氏本人を含めてすべてのスタッフの脳内にそんな計画など微塵も存在していなかった(実際,その年のREBOOT Developでスタッフの1人と話したときは,この急展開に大いに当惑していた)。
だがその年の参加者全員の前で宣言してしまったからにはもう後には引けない。かくして日程や会場のプランなど一切存在しない状態から,REBOOT Develop REDの模索が始まったのである。
当然というかなんというか,ここでĐurović氏が頼りにしたのがDésilets氏である。Panache Digital Gamesはカナダのモントリオールにあるし,モントリオールはいまや世界有数のゲーム開発拠点だ。もちろん交通やホテルなどのインフラも整っている。
かくしてREBOOT Developのモントリオール開催は,ごく自然な選択となるかと思われた――が,Désilets氏が「Damirがモントリオールに来るたびに天気が荒れに荒れて,毎回マイナス20度くらいになったんだよね」と語るように,Đurović氏はモントリオールの過酷な自然にメゲつつあった。
どれくらいĐurović氏がメゲていたかというと,モントリオールでDésilets氏と話し合いを進めるなかで「ふと思いついた」と言わんばかりに「バンクーバーの様子も見てみたいんだけど」と口走るほどであったという(日本のイメージで言えば,札幌で会議している最中に,思いつきで「ちょっと沖縄に行ってみたい」と言い出すような感じ)。
幸いにしてこの思いつきは「お前はカナダの広さを知らんのか」というDésilets氏の一言で却下されたが,会場選定は暗礁に乗り上げつつあった。
一方でDésilets氏もまた,「モントリオールもバンクーバーも,REBOOT Developというイベントに本当に相応しいと言えるのだろうか?」という疑念を振り払えずにいた。というのもREBOOT Developは「ゲーム業界のファビュラスな連中が集まって新しい友達を作る場所」(Désilets氏談)であり,そのテーマとブランドに対してモントリオールやバンクーバーという大都市はフィットしていないと感じていたからだ。
かくして,改めて「カナダのリゾート地で,ゲームの技術カンファレンスが開催可能な土地」が模索された。そこで浮上してきたのがバンフで,Fairmont Banff Springs Resortならば1000人規模のカンファレンスが開催できると知ったĐurović氏は即決でバンフ開催を決定したという。
この決断にあたってĐurović氏は「つまらない都会のつまらないカンファレンスホールに,世界有数のクリエイティブなゲームクリエイターを集めるなんて,あまりにもバカバカしい」とコメントしている。Đurović氏が描く「REBOOT Develop」というイベントに対する強固なイメージと,それを絶対に揺るがさないという強い意思は,ついに「瓢箪から駒を出した」のである。
「雄大な大自然」という陳腐な言葉でしか語り得ぬ,絶景の連続 |
とあるゲームクリエイターは「5分歩くたびに人生で最高の風景に出会う」と評したが,実に適切な評価 |
ホテルの近くにあるボウ滝 |
向かって右に見える建物がカンファレンス棟。ホテル本館から歩いて1分かからないが,この1分以内の移動がなかなかの試練。ときに外気温は−20度程度まで下がる |
須田氏による世界で最も斬新な基調講演
どこまで本気で信じてよいのか分からない(正直なところ筆者は自分が英語を聞き間違ったのではないかと疑い,様々な関係者に確認したが,本当にこの内容だった。またĐurović氏本人にも一応「マジですか?」と聞いてみたが,「マジだよ」というありがたい返答を頂いた)エピソードで会場が温まったところで,いよいよ須田氏による基調講演となった。
さて,基調講演というものは原則的に,そのイベントの基本方針などを指し示すものだ。
だが須田氏の第一声は「この基調講演では『No More Heroes』シリーズの歴史を語ろうと思ってスライドを作ってきました。ですが昨日の夜のパーティーで参加者の皆さんが酒を飲んでいるところを見て,それじゃ寝てしまうだろうと思ったんです。なので昨晩のうちにスライドを作り直しました」という,これまたどこまで信じるべきか分からない宣言であった。
では,須田氏が直前にスライドを作り変えてでも話したくなった内容とは何か?
それはまさかのSUDA RADIO――つまり「僕がゲームを作るときにインスパイアされた曲を聞いてもらいます」という,基調講演の概念を揺るがす講演だったのである。
……と,いうわけで本稿では以下,SUDA RADIOで流された曲と,それに対する須田氏のコメントをご紹介する。なおスライドの写真は大人の事情により省略させて頂く。
・1979(Smashing Pumpkins)
須田氏はグランジ全般にハマったというが,なかでもSmashing Pumpkinsにはとくにハマったそうだ。Smashing Pumpkinsのボーカルが須田氏のファンで,メールでやりとりをしたこともあるとか。
・World’s End Supernova(くるり)
グラスホッパー・マニファクチュアのデビュー作となった「シルバー事件」の制作中に聞いていたのがこの作品だという。氏は「くるり」の作品のなかではこれが一番好きだと語った。須田氏はゲームの脚本を書くときは,必ず音楽を聞いているという。「音楽の持つエネルギーが体内に入ってきて,それが指に入って,創作が加速する」感覚があるというのが氏の言葉だ。ちなみに須田氏は当初この発表をすべて日本のアーティストで埋め尽くそうと考えたそうだが,「聞いたことのない曲ばかりが続くと飽きるだろう」という判断から洋楽と邦楽の入り交じる編成となった。
・Shiny Happy People(R.E.M.)
「Flower, Sun, and Rain」の制作中に須田氏がヘビロテしていた曲。須田氏は「あるゲームの脚本を書くときは,このバンドの曲だけを聞く」というポリシーでBGMを決めているという。
・Singularity(New Order)
世界市場にデビューしたゲームであり,今なおグラスホッパー・マニファクチュアの代名詞となっている「killer7」制作時には,須田氏はNew Orderの曲を繰り返し聞いていた(「killer7」は須田氏が「すべてにおいてオリジナリティを目指して作った」作品である)。須田氏は高校時代UKロックをよく聞いており,なかでもこの時代の作品にハマったという。「多感な時期に最も影響を受けた」のがUKロックであり,なかでもThe SmithsとNew Orderは特別な存在だったそうだ。
また須田氏は自身を「MTV世代」と定義する。プロモーションビデオがひとつの作品となって,「曲と映像が一緒に入ってくるようになった」最初の世代というわけだ。このため須田氏は「killer7」制作中,New OrderのPVが流れるとついそれを見てしまい,「2時間くらい見入ってしまって,その間は仕事が止まっていた」という。音楽を聞きながら創作したというが,それくらいに映像からの影響も大きいというわけだ。
・Love Will Tear Us Apart(Joy Division)
「No More Heroes」制作時に聞いていた曲。須田氏はJoy Divisionのボーカルであるイアン・カーティスが大好きで,一時期は髪型まで真似していたそうだ。須田氏いわく「killer7は外部からのインプットを遮断して作った。自分の中にあるものだけで作った。逆にNo More Heroesは自分の好きなものを全部吐き出したゲーム」ということで,作業時のBGMにもそれまでに散々聞いて「自分の中にある」状態になっている楽曲を選んだようだ。
また「No More Heroes」は殺し屋どうしが殺し合う作品であるため,「その軸としてシリアスさ,死と向かい合う態度といったものが欲しかった」という。この楽曲は,その軸のひとつとなったそうだ。ちなみにイアン・カーティスの自伝映画「コントロール」は必見だとも須田氏は語っている。
・Coffee and TV(Blur)
「No More Heroes2」のときのヘビロテ。なお須田氏は「もう若い人はBlurって知らないんじゃないか」と不安になり会場でBlurを知っている人に挙手を求めたが,相当数の手が上がっていた。このバンドも須田氏はPVが気に入っており,「つい見てしまう」という。
・夜の踊り子(サカナクション)
「Shadows of the Damned」のときに須田氏が聞いていた曲。須田氏は「サカナクションは僕が日本で一番好きなバンドで,これを聞いてもらうためにバンフに来たと言っても過言ではない」と語った(どうやらSUDA RADIOにはそれなりに計画性があった模様)。須田氏はサカナクションを評価するにあたり,「英語を一切使わず,日本語を大事に使って楽曲を作っている」ところも強調。この「言葉を大切にする」という姿勢は,須田氏自身の創作においても重要なポジションを占めているようだ。
・You Spin Me Round(Dear Or Alive)
「Lolipop Chainsaw」で使われた楽曲。「Lolipop Chainsaw」では須田氏はシナリオを書いておらず,代わりにジェームズ・ガン氏がシナリオを担当している。またワーナー・ブラザーズとパートナーシップを結んで作った作品であるため,Dead Or Aliveの曲が入っているという(ちなみに使用する楽曲のセットリストもジェームズ・ガン氏が考えたとのこと)。
・NUM-AMI-DABUTZ(Number Girl)
「Killer is Dead」制作中に須田氏がヘビロテしていたという曲。須田氏はナンバガについても「日本語を大事に使うバンド」という点を強調した。「自分の創作と同じスタイルで共感する」のだという。
・銀河(フジファブリック)
大友克洋氏も参加した映画「SHORT PEACE」のゲーム版(「SHORT PEACE」プロジェクトにおける5番目の作品)「SHORT PEACE 月極蘭子のいちばん長い日」のときに聞いていた曲。脚本執筆時にはこれをずっと聞いていたそうだ。
・Chance(D.A.N.)
「Travis Strikes Again: No More Heroes」のときに須田氏が聞いていた曲。制作途中でD.A.N.の存在を知ってしまい,それ以降はずっとD.A.N.の曲をループさせながら脚本を書いていたそうだ。
・illusions feat. SKY-HI(金子ノブアキ)
最新作となる「No More Heroes 3」の脚本執筆時のヘビロテ。ちなみに脚本は8月に全部脱稿したという。「No More Heroes 3」の楽曲は金子ノブアキ氏が担当しており,須田氏は「これから作るゲームで使われるBGM」を聞きながら脚本を書いたということになる(筆者個人的には,とても贅沢かつ効率的な作業体制であるように思える)。「No More Heroes 3」は“目下絶賛開発中”で,2020年の発売予定とのこと。
須田氏の基調講演は,公の場であれば「型破り」以外の言葉では表現できない(会場にいた筆者の知人の多くは大笑いしながら,記事には書けない言葉を使って評価していた)ものだったが,個人的にはREBOOT Developというカンファレンスを完全に体現し,また今後のREBOOT Develop REDの方向性を示すものでもあり得たと感じた。
前述のように,REBOOT Developの良さは「ゲーム業界のファビュラスな連中が集まって新しい友達を作る場所」(Désilets氏談)という点にある。だからこそ,この技術カンファレンスの基調講演において「俺はこれが好きなんだよ」というクリエイター個人の嗜好の表明がなされることには,なんの違和感もない――それどころか,そのほうがこの場にはフィットする感覚すらある。
日本においては,技術カンファレンスはどうしても「カンファレンスルームの内側でどんな知見が語られたか」だけが注目され,イベント全体が「開発者が正解を買いに行く場所」として評価されている傾向が観測できる。
だが実際に世界の技術カンファレンスを渡り歩くと,「カンファレンスにおいては会議室の中で起きていることと同じくらいに(あるいはそれ以上に),会議室の外で起きていることも大事だ」ということを痛感する。それはGDCですら同じだ。その「カンファレンスルームの外で起こっていること」(の一部)を基調講演という場で披露した須田氏の講演は,まさに須田氏ならではとも言えるし,REBOOT Developというブランドに相応しいエピックかつユニークな講演だったと言えるだろう。
定期的にコーヒーブレイクが挟まり,参加者はコーヒーと軽食片手に歓談する |
サイドイベントも充実。こちらはバーベキューパーティの模様 |
「REBOOT Develop」公式サイト
- 関連タイトル:
ノーモア★ヒーローズ3
- この記事のURL:
(C)Marvelous Inc. / Grasshopper Manufacture Inc.
- No More Heroes 3 -Switch 【Amazon.co.jp限定】「IAFK」ダウンロード番号 配信 付
- ビデオゲーム
- 発売日:2021/08/27
- 価格:¥3,180円(Amazon) / 3680円(Yahoo)