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「デモンゲイズ2」特別企画「ステラ座寸景 〜デモン四重奏〜」。第5話はベニー松山氏書き下ろしのショートストーリー「いってらっしゃいませ、旦那様!」をお届け
いつも賑やかなステラ座での日常を,使用人・トマの視点から描いた今回のショートストーリー。アステリアでの革命を成し遂げ,遙かミスリッドでの新たな戦いに出発したデモンゲイザー。彼と戦線を共にし,つかの間のひと時を楽しむステラ座の面々と,そんな彼らに振り回されるトマの姿を,さっそくご堪能あれ。
ちなみに,こんな仲間とだったら,命がけの戦いも悪くない……などと格好つけてグリモダール城に突入した途端,ミラージュ・エリスに蹴散らされたデモンゲイザーとは筆者のことです。うう,鍛え直さないと。
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■「デモンゲイズ2」特別企画「ステラ座寸景 〜デモン四重奏〜」
- 第1話「懊悩(おうのう)するペガサスはオー、ノー!!」
- 第2話「ヤーねー!有頂天カプリコーン」
- 第3話「アクエリアス ロリババアはBARにいる!」
- 第4話「お別れって分かれ! センタウルよ永遠に!」
- 番外編「柳生斬魔録 -コール・オブ・ザ・グリモダール-」最新SS
ステラ座寸景第五話『いってらっしゃいませ、旦那様!』
ステラ座の使用人・トマは、ネイ族特有の大きな耳をひくつかせ、シャワー室前の廊下で身動きを止めた。
誰かが湯を浴びている水音は聞こえない。だが、中から微かに奇妙な物音がする。猫を思わせる幅広の耳が、何か硬いものが擦りつけられる小刻みな音を捉えていた。
背筋を撫でられたような悪寒に、トマは思わず身震いする。
彼は、この場所が苦手だった。正確には、少し前にシャワー室で起きた出来事がトマにちょっとしたトラウマを刻み込んでいた。
トマが清掃にやってくる頃合いを見計らって、浴槽に置いてあった恋文。それは、美少年好きの野良デモン・スコーピオンがトマに目をつけてつきまとっていたことを示すものだった。あからさまなストーカー行為である。それも、隠身に秀でた暗殺者型のデモンが、ステラ座にたびたび忍び込んで知覚の外からずっとトマの様子を窺っていたということになる。あわよくば、捕まえて連れ去ってあれやこれやを好き放題に――。
幸いにも、事態はそうなる前に収拾した。デモンゲイザーがスコーピオンを懲らしめ、本能のままに徘徊していた彼女を、その魔眼で理性ある存在へと矯正したのだ。それを契機にストーキングの対象もデモンゲイザーへと移ったので、トマは実害を被ってはいない。物腰の柔らかい大人の女性であるスコーピオン自身に対しても、彼女が憑きものが落ちたようにトマへの執着を失っていたため、苦手意識はまったく抱かずに済んでいた。アステリア革命団の仲間として普通に接している。
しかしトマの中に、この騒動の舞台となったシャワー室へのそこはかとない恐怖は残った。普段は何も問題ない。ただ、シャワー室からシャワーを使う以外の音がすると、謎の手紙事件のことが思い出されて無意識に身構えてしまうのだ。
――いや、ステラ座の使用人たる者、こんなことで怯えていてはダメだ! 旦那様のミスリッド地方への出張が続く間、ステラ座に何かあればミュゼ様とプリム様を守るのはぼくの役目なんだ! 怖くなんか……あるもんか!
気のせいだと己を奮い立たせ、トマは恐る恐るシャワー室のドアを開く。脱衣所に入ると、あの正体不明の音は幻聴どころか、明瞭に彼の鼓膜を震わせた。一定の間隔で、金属を擦り合わせるような不気味な音がシャワー室で反響している。
「誰だっ!?」
ありったけの勇気を振り絞り、シャワー室へと踏み込んだトマは、視界をふたつに分割する鋼の輝きに縫い止められ、息を呑む。幅広の刃の尖端が、彼の両目の間に一瞬のうちに突きつけられたのだ。恐るべき反応速度で立ち上がったカプリコーンが大槍を構えてそこにいた。
「――あら、トマじゃありませんこと? いきなり驚かせないでくださいませ」
ぎらぎらと光を反射する槍の穂先を引き、カプリコーンは再びバスチェアーに腰を下ろすと、桶から砥石に水を掛けて槍を研ぎ始めた。
「な……何をしてるの、カプリコーン」
驚いたのはこっちだ、という抗議を飲み込んで、裏返ってしまった声でトマは訊ねた。
「見れば判るでしょう? 槍のお手入れですわ。柄の歪みなんかのメンテはともかく、穂先の研ぎの仕上げばかりは、カッスルにお任せするわけには参りませんもの」
言いながら、カプリコーンは丹念に刃を研ぎ澄ませる。「最後にものを言うのは貫通力なのですわ。あちらでの対決に向けて、怠りなく備えをしておかなくては……そういう事情ですので、しばらく給仕のお仕事はお休みさせてくださいませ」
「あ……はい、それは大丈夫――」
もう闖入者には目もくれず、一心に槍先を研磨し続けるカプリコーンに圧倒され、トマは逃げ出すようにその場をあとにした。
*
トマが酒場に戻ると、もう夕刻に近いということもあって、ホールの丸テーブルは八割方客で埋まっている。
アステリアの革命が成し遂げられてからというもの、もともと美味な食事と酒を提供していたこともあって客足は順調に伸びていた。それまでは革命団の秘密本部としておおっぴらに人を呼び込めなかったのだが、今となってはこのステラ座こそがアステリア新政府の象徴と言ってもいい。市民は恐る恐るではあったが、悪逆無道の旧政権を倒したデモンたちが生活する元劇場を訪れ、思っていた以上にフレンドリーな連中だと好意的な印象を携えて帰っていく。そうした評判が広がって、ステラ座の経営状況は一気に改善した。この頃ではトマが支配人室の前を通るたび、扉の向こう側から「いひひひ……濡れ手に粟とはこのことよ!」という、支配人ミュゼの笑い声が漏れ聞こえてくるのだった。
「おお、トマ。やっと戻ってきおったか」
カウンター席にちょこんと座っているのはアクエリアスである。ミグミィにはいささか高い椅子の上で足をぶらぶらさせながら、期待を込めた目でトマを見上げてくる。
「プリムが意地悪をするのじゃ。ツケで飲ませろと言っておるのに、バーテンダーのトマくんが許可しないと酒は出せないと断りよるのじゃ。待ちくたびれた! 許可をくれ、くれなのじゃー」
「ツケと言っても、払ったためしがないじゃないですか」
嘆息しながらグラスを磨こうと手を伸ばしたトマは、それがすでに曇りなく透明に輝いていることに気づく。
「わらわじゃ。わらわがピッカピカに磨き上げておいたのじゃ! 労働奉仕で借りを返そうとするいたいけな少女の願い、よもや断りはせぬじゃろう?」
「少女が毎日のようにお酒をたかりに来ますか? ……まったく、それじゃ一杯だけですよ」
「おおー! トマは話が分かるのう! バーテンの鑑なのじゃー!」
ステラ座が儲かっていることだし、そのくらいならと仏心を出して、トマはアクエリアスの差し出してきたグラスに蒸留酒のボトルを傾ける。琥珀色の液体が見る間にグラスを満たして……満たして……?
いくら注いでもまったく酒が溜まっていかないような感覚に、トマは首を傾げる。思っていたよりもボトルの中身が少なかったのか、空になるまで注いでようやくグラスは満たされた。
「ふっふっふ。まだ青いのう、トマよ」
「えっ?」
見ると、トマからは死角になるようにもう片方の腕で隠した陰に、同様に満たされたグラスが四つ並んでいた。
「ええっ!? なんですかこれ?」
「気づかなかったじゃろう? 注がれている間に、気づかれぬようにグラスを取り替えておったのじゃ。にゃっはっは!」
それはアクエリアスが得意とする早業だった。磨くついでに隠していたグラスを目にも留まらぬ早さで次々と差し替え、実に五杯ぶんの酒をせしめてのけたのだ。
「もう注がれてしまったものは仕方がない、飲んでやるとするかのう。気前が良いバーテンダーに乾杯なのじゃ!」
「ひ……ひどい! 恩を仇で返すなんて!」
「まあこれも訓練なのじゃ。ミスリッドでの戦いでちゃあんとデモンゲイザーをサポートするためにの」
アクエリアスはその器用さで、矢継ぎ早に薬品や魔法の道具を使う技能を持っている。手品師めいたテクニックが、窮地に陥った仲間を救うケースは少なくなかった。
「旦那様の、ために――」
「そうなのじゃー。だから大目に見て欲しいのじゃー。おかげで絶好調になれたのじゃ。ぷっはー! 旨い!」
なんとなく丸め込まれてしまったところで、酒場の一角のステージにセンタウルが登場する。歌姫デモンだった彼女が、そう言えば今夜新曲を披露すると得意げに宣言していたことをトマは思い出した。
「レディースアンドジェントルメン、アーンドおとっつぁん! ようこそ今宵私のステージに!」
マイクを手にノリノリでセンタウルが叫ぶ。その傍らにはサングラスをかけたデモン・ヴァルペが音響機材を持ち込んで、何やら聞き慣れない音を立て始めた。リズミカルな、キュッキュ、キュッキュとこすり上げるような音色が酒場に響く。
「さーあ、それではいくですよ! 時代を先駆ける新曲、その名もセンタウラップ!」
テンポの良いリズムに乗せて、センタウルが歌い始めた。しかしそれは歌と言うより、駄洒落をふんだんに盛り込んだ早口言葉のつぶやきのようだった。
「Yeah! この革命の立役者 そう彼が噂のデモンゲイザー
私だってお役に立たなくちゃ ソーサレスだもん固い決意いざ
デモン娘の正ヒロイン枠 ナイスバディの大魔法使い
魔力枯渇? そんなのいっくらでも湧く 愛でハートを狙い撃つかい?
イェイイェイ YO! YO! 乗ってますかお客さん!
いいえ家に 帰りますよ? ウケてないの? 私悲惨! YEAH――」
静まり返ってしまったホールに耳障りなハウリング音が響く。これほどまでにステージと客席の温度差がある演し物をトマは見たことがなかった。センタウルの歌はあまりにも前衛的すぎて、伝統曲スタリカを愛してやまないアステリアの民が理解するにはあと十年はかかりそうだった。
やっぱりダメじゃねえか! とヴァルペに尻を蹴られ、よろよろとステージを下りたセンタウルがアクエリアスの横に座ってカウンターに突っ伏す。
「うう〜、踏みまくった韻が芸術的すぎましたか……みんなをあーっと驚かすつもりでしたが。アートだけに……ぷふっ……ううう」
「ま、ウケるとは思えんのうコレは。ただ、本当は魔法を連唱する練習じゃろ? ステージで演じる緊張感で滑舌を鍛えて決戦に備えるつもりなんじゃろ?」
「……さすが老獪な魔女、裏まで読み切ったろうかいってカンジですねえ――」
アクエリアスの指摘に、センタウルは少しだけ顔を上げる。「あのキルケーとか言う女もですが、海の魔女は抜け目ないったらないですよ。万が一にも呪文詠唱をしくじらないように舌がべろんべろんに動くようにしとかないとです。ついでにステラ座発の大ヒットを狙ったですが、ここまでオーディエンスの反応が悪いとは……」
「こら! あんな性悪女と一緒にするでないわ!」
「……皆さん、準備を進めていてくれたんですね――」
カプリコーンだけでなく、一見ふざけているように思えるアクエリアスやセンタウルも、デモンゲイザーの戦いが大詰めを迎えつつあることを感じ取り、支えようとしていた。それを悟って、トマは心が軽くなるのを感じていた。
彼が慕ってやまないデモンゲイザーが、ミスリッド地方の魔城で恐るべき厄災と対峙していることは知っている。その死闘が最終局面まで近づいていることも。だが、戦いに不向きなトマにはどうすることもできない。できることと言えば、魔法の鏡を通じて帰ってきたデモンゲイザーたちが、滞在中少しでもリラックスしてもらえるようにステラ座を快適な場所にする――つまりは常と変わらずに日々の仕事をこなすくらいであった。
だが、この日常の中で、デモンたちは戦うための牙を研ぎ澄ませていてくれた。間接的にでも貢献できた気がして、トマはこのところの鬱々とした気持ちが晴れていくのが分かった。
「旦那様のために、ありがとうございます。もう一杯、これはぼくからのおごりで、いかがです? ただし、グラスすり替えはなしで」
「ひょっ? よいのか? もちろん、もちろんご馳走になるのじゃ! ほれ、イカサマはせんからなみなみと、表面張力の限界まで注ぐのじゃー!」
と、アクエリアスが捧げ持つ手の中でグラスが揺れる。酒がこぼれそうになって、酒豪の魔女は慌てて口をつけ、すすり上げた。
「ぶはっ! あ、危ないところじゃった! なんなのじゃ今のは? 地震か?」
「どこかに避難するですかね。あそこへ行く? アースクエイクだ、け、に! うぷぷぷーっ! これ傑作じゃないですか? メモっとかないと――」
再び、ドン! と酒場が揺れた。同時に、外から聞き覚えのある絶叫が響く。
「お兄ちゃーん! ペガッソ、負けなーい!!」
カウンターから落ちかけたグラスを支えて置き直し、トマは大急ぎでステラ座の正面玄関に向かう。するとそこには、建物の壁に体当たりを繰り返すペガサスの姿があった。
「ペッ、ペガサス!? さっきからの揺れは、君が?」
「あっ、トマくん! うん、ペガッソね、どんなに強い攻撃でも絶対に受け止められるように、ステラ座を使って練習してるの! 見ててね、せーの、どすこーい!!」
小柄な身体からは想像もつかない力強さで、止める間もなくペガサスは壁にぶちかましを敢行した。トマが建物全体が揺れたかのような錯覚を感じたと同時に、どこかから派手な破砕音が響く。次いで、頭上の支配人室からミュゼの悲鳴が降り注いできた。
「なあああ!? 儲けたお金で買った超高級ガラス器が! 家具のあれやこれやが本棚の下敷きに! ああああ――」
ペガサスの体当たりの衝撃は、館を巡り巡って支配人室に集中したらしい。今の叫びからして、ステラ座の収支は今週も赤字になるかも知れない。
「ペガサス……旦那様のために頑張ってくれるのはいいんだけど、できればその、ぶつかり稽古はタウロスとかとやってもらったほうが――」
「そう? それじゃタウロスおじいちゃんにお願いしてみるね!」
無邪気に笑って、ペガサスは駆け去っていく。その、幼く小さいながらも頼り甲斐のある背を、トマは微笑みを浮かべながら見送った。
――大丈夫。旦那様はきっと勝って帰ってくる。グリモダールのお城に何が待ち構えていようとも、こんなに一生懸命なデモンたちが支えているんだから!
ならば自分は、自分がここでできることをひとつひとつ積み重ねていこう。皆が戦いを終えて戻ってきた時に、ステラ座が最高のホームだと思ってもらえるように。
手始めに、まだ意味をなさない言葉を喚いているミュゼの支配人室をなんとかしなくてはならない。掃除用具を手に、トマは足取りも軽く階段を駆け昇った。
【おしまい】
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