連載
筒井康隆×いとうのいぢが贈る衝撃作。「放課後ライトノベル」第107回は『ビアンカ・オーバースタディ』でちょっと危ない生物実験
現在,大ヒット公開中の「おおかみこどもの雨と雪」,皆さんはもう見に行かれただろうか? 「子育て」という,自分の普段の生活から縁遠い題材が扱われているので,素直に楽しめるのか正直不安だったのだが,気がつけばスクリーンにのめりこみ,スタッフロールが流れる頃にはついつい涙ぐんでしまう素晴らしい作品だった。
本作の監督である細田守の出世作といえば2006年に公開された「時をかける少女」だが,その原作者である筒井康隆が,何とこの夏,ライトノベルに殴り込みをかけてきた。それが,今回の「放課後ライトノベル」で紹介する,『ビアンカ・オーバースタディ』。イラストレーターは『涼宮ハルヒの憂鬱』『灼眼のシャナ』でおなじみの,いとうのいぢ。まさに夢のタッグである。
しかし,大御所・筒井康隆,御年77歳。ライトノベルが主に10代の若者を対象にしていることを考えると,作者と読者の年齢差は約60歳。大人と子供どころか,祖父と孫ぐらいの年齢差だ。果たして筒井康隆はこのジェネレーションギャップを埋めることができるのか? そんな不安と期待を胸にページを開くや否や,目次には「哀しみのスペルマ」「喜びのスペルマ」「怒りのスペルマ」「愉しきスペルマ」「戦闘のスペルマ」という不穏な文字列が……大丈夫か,御大!
『ビアンカ・オーバースタディ』 著者:筒井康隆 イラストレーター:いとうのいぢ 出版社/レーベル:星海社/星海社FICTIONS 価格:998円(税込) ISBN:978-4-06-138837-6 →この書籍をAmazon.co.jpで購入する |
●美少女ビアンカの放課後実験タイム
栗色の髪と大きな漆黒の瞳を持ち,放課後の校内を歩くだけで周囲の男子の視線を惹き付けるハーフの美少女。その美貌の持ち主こそが本作の主人公にしてヒロインであり,語り手となるビアンカ北町(きたまち)だ。このビアンカ,ただ美しいだけではない。自分の美しさを理解し,思春期真っ只中の男子が向けてくる視線の意味を冷静に受け止める知性の持ち主でもある。
生物研究部に所属するビアンカは,今日も今日とてウニの生殖についての研究を行っていたが,彼女には密やかな願望があった。
「やっぱり、人間の生殖の仕組みを見たいなあ」
そのためには精子を提供してくれる被験者が必要不可欠だ。そこで白羽の矢が立ったのが,彼女の1年後輩の塩崎哲也(しおざきてつや)。外見は美少年なのだが,文芸部の雑誌にビアンカへの愛と賛美を綴ったポエムを掲載しちゃう,なかなか痛い人物だ。だが,計画には,まさにうってつけの人材である。
そしてビアンカは彼に実験の手伝いをするように頼み,実験室に連れ込むと,ズボンのチャックから彼の性器を取り出して擦り,精液を搾り出す。ちなみに物語が始まって,ここまでわずか10ページ。飛ばしてるな,御大!
●「2010年代の『時をかける少女』」,その真偽は!?
一章の主な内容はビアンカが塩崎の精液を搾り出し,それを顕微鏡で観察するというもの。ここからどのように物語が展開していくのかと胸を高鳴らせていると,二章でも,ビアンカは再び塩崎の精液を搾り出し,それを自分の卵子と受精させて受精卵を作り出そうと企む。三章でも,やっぱり精液を搾り出して……とここまで読んで,「あれ,もしかして先生はライトノベルを本番行為のないポルノ小説と勘違いしているんじゃないかな?」と不安になってくる。
念のために帯を見てみると,「――それは、2010年代の『時をかける少女』」なんて書かれているが,さっきからラベンダーどころか,栗の花の匂いしかしない。そんなことを思っていたら,ここらへんで,生物研究部の先輩である千原信忠(ちはらのぶただ),通称・ノブが未来人であることが判明し,物語はようやく動き出す。ちなみに未来人だと判明したきっかけは,ノブの精子が塩崎のモノと比べて貧弱だったからであり,そのノブの精子を搾り出したのはやっぱりビアンカである。いろいろと酷い。
ノブは未来で大発生した巨大カマキリを駆除するために,この時代でカマキリの天敵となる生物を研究していた。捕らえてきたアフリカツメガエルを改造し,巨大化させて戦わせるというのが現時点でのノブの計画だったが,ここでビアンカがとんでもない提案をする。
「このカエルの卵に、人間の精子を受精させるなんてこと、できるのかしら」
かくして,ここに未来技術と塩崎の精液を組み合わせた禁断の実験がスタートする。
●ラノベにしてラノベにあらず。筒井康隆からの挑戦状
作者のあとがきによれば,「この本にはふたつの読みかたがある。通常のラノベとして読むエンタメの読みかた、そしてメタラノベとして読む文学的読みかたである」という。
この“メタラノベ”が何を意味するのかは,実際に読んでみて各自考えてもらいたいのだが,一つ言えることとして,本作では一見するとライトノベルのお約束を守っているように見せかけながら,ところどころでその典型を裏切る構造になっている。
たとえば,本作の主人公ビアンカは,好奇心と行動力に溢れる知的な美少女である。このように説明すると,イラストレーターの影響もあって誰もが知ってるあの少女を思い出すだろう。作者もそれを計算しているのか,物語中盤でビアンカに「わたしはずっと前、ちっちゃな頃から、宇宙人だの未来人だのが、わたしの前にあらわれてくれることを待ち望んでいたような気がするの」などと,どこかで聞いたような台詞を言わせている。
だが,普通の作者ならそんなヒロインに手コキはさせないし,そのことが原因で学校の男子から「抜き屋」などと呼ばれる事態も起こさない。
また,ビアンカと塩崎の関係に嫉妬する,サブヒロインの沼田耀子(ぬまたようこ)。塩崎への態度や,元ヤンキーで攻撃的な性格から「ははーん,これはツンデレだな」と予想してしまうのだが,実際はそういうレベルではない。彼女は読者の想像を遥かに超える暴力性を発揮し,実験室にとんでもないモノを持ち込んでくる。
ほかにも人類が衰退した未来世界で暴れまわる,奇妙な生物たち。彼らが短い単語だけで会話をつなげていく姿は,現在アニメが放映中の某妖精さんを彷彿とさせるが,その外見は妖精さんとは似ても似つかぬ気持ち悪さだ。
どこか既視感のあるキャラや設定を作品に取り入れながら,それらを堂々と逸脱し,ほかでは見られない作品に仕上げる。これぞ,過去にさまざまなパロディを手がけてきた筒井康隆ならではの技だ。そして,これだけの遊びや悪ふざけを行いながらも,ラストでは未来の視点から現代の文明や社会情勢への批判を織り交ぜ,「通常のラノベ」としてきっちりとオチをつけている。
とはいえ,作品全体に含まれる毒や下ネタは大変強烈。喜寿にして筒井康隆は健在なり。よって,もし筒井康隆をよく知らない若者が「巨匠と呼ばれる人が書いたライトノベルだから面白いに違いない」「『時かけ』の作者なのだから,きっと爽やかなSFなのだろう」と甘い考えで本作を手に取ると,「この爺さんは正気なのか!?」と困惑する可能性が高いだろう。
なので,あらかじめ筒井康隆の過去の作品のいくつかに目を通し,「そうか,昔からあまり正気ではなかったんだな」と承知しておけば,本作の内容もすんなり受け入れられるはずである。万が一,そうならなかった場合は,作者のあとがきにもあるこの言葉を思い出そう。
「太田が悪い」
■アブない生物研究部員じゃなくても分かる,筒井康隆作品
筒井康隆は言わずと知れた文学界の巨匠であり,1960年に雑誌「宝石」に短編「お助け」が掲載されて以来,その作家生活は半世紀を超える。SFと文学を主戦場に活躍してきたが,それ以外にもホラーやミステリー,ジュブナイル,エロやグロ,ギャグやパロディも数多く手がけている。短編,長編を問わず,つまりどんなジャンルでも書ける天才であり,今回ライトノベルを書いたこともそれほど意外ではない。
『大いなる助走 <新装版>』(著者:筒井康隆/文春文庫)
→Amazon.co.jpで購入する
当然,代表作と言える作品も数多い。他人の心を読める火田七瀬を主人公にした「七瀬シリーズ」。未来の異星を舞台に一人の男の旅と人生を描いた『旅のラゴス』。現実と夢の世界の交錯を描き,今敏監督による映像化もされた『パプリカ』。話が進むにつれて作中で使える文字が消えていく『残像に口紅を』。ネットの掲示板に書かれた意見や批判を連載中にリアルタイムで作品に反映した『朝のガスパール』など,作品を挙げていけばキリがないだろう。だが,その中でも筆者が個人的に好きなのが,文壇の裏話を戯画化してさまざまな方面を敵に回した『大いなる助走』だ。同人誌「焼畑文芸」に集うアマチュア作家達の愚痴や罵倒,嫉妬や挫折といった生々しい負の感情が,読んでいるこちらの心を容赦なくえぐってくる。
また筒井康隆は現在,朝日新聞にて,長編小説『聖痕』を連載中である。齢七十七にしてその執筆意欲は依然衰えを知らない。果たして次はいかなる挑戦で,読者を驚かせてくれるのだろうか?
|
- この記事のURL: