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[GDC 2011]発売後1か月で84本しか売れなかった「プリンス・オブ・ペルシャ」。完成への長い道のりと,大ヒットの理由が明らかに
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印刷2011/03/04 00:00

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[GDC 2011]発売後1か月で84本しか売れなかった「プリンス・オブ・ペルシャ」。完成への長い道のりと,大ヒットの理由が明らかに

Jordan Mechner氏
画像集#002のサムネイル/[GDC 2011]発売後1か月で84本しか売れなかった「プリンス・オブ・ペルシャ」。完成への長い道のりと,大ヒットの理由が明らかに
 1989年,Apple II向けにリリースされた「Prince of Persia」(プリンス・オブ・ペルシャ)は,ゲーム史上でも名作に数えられる作品の1つだ。それまでは考えられなかった「人間的な動き」を実現したアニメーションと,トラップを上手く利用したパズル要素が受けて,日本でもスーパーファミコンへ移植されるなどして,人気を博したタイトルである。
 今回のGDCでは,初開催からの25周年を記念して,業界の著名人12名がそれぞれ出世作品の裏話を披露する特別セッション「Classic Games Postmortem」(クラシックゲーム回顧録)が催されている。そして,その開幕を告げるセッションで登壇したのが,誰であろう,Prince of Persiaを生み出したJordan Mechner(ジョーダン・メックナー)氏であった。

大学を卒業したばかりの夏(1985年6月)のMechner氏。アメリカ人では珍しい童顔
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 ニューヨークで育ったMechner氏は,高校生の頃からゲームのプログラミングに興味を持ち始めたという。名門エール大学3年生のときに「Karateka」(カラテカ)を発表し,一躍,ゲーム業界黎明期の若き才能として注目を集めることとなった。そのため,卒業時には資金的な余裕もあり,「どこに就職するか」といった,人生の選択を急ぐ必要は感じなかったのだとか。
 そもそも,Mechner氏にとって,ゲーム開発以上に興味を抱いていたのが映画業界で,同じ志望を抱いてハリウッドへ引っ越した友人に感化され,自身も脚本家になることを目標としていたそうだ。大学卒業直後の1985年7月の日記には「2年後には,ゲーム市場なんて消えてなくなっているんじゃないだろうか」と綴っていたらしい。

 それでも,KaratekaのパブリッシャーであるBroderbundは氏を放っておかなかった。新作の制作を促されたMechner氏は,1986年9月になってようやく企画作りを始めた。
 そのアイデアの源泉となったのは,当時一世を風靡していた映画「インディ・ジョーンズ/失われたアーク」のような,わくわくする冒険譚。また,ほぼ同時期に友人から「アリババのような世界はどうだ?」と薦められていたとのことなので,このときすでにPrince of Persiaの世界観は,かなりできあがっていたようだ。

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自分の弟を使ってアクションを録画するところから,あの滑らかなアニメーションを作る作業は始まった
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マジックペンで背景を塗りつぶすなど,なんともアナログな作業が行われたというから面白い
 冒頭で紹介したとおり,Prince of Persiaといえば,主人公の動きに,人間的なアニメーションを取り入れたことで大きな注目を集めたわけだが,そもそもMechner氏は,プログラミングやスケッチこそ自分でできるスキルを持っていたものの,アニメーションは得意でなかったとのこと。
 そこで氏は,クレジットカードで買ったビデオレコーダーを利用し,弟をモデルに,彼が走ったり急停止したりする様子を真横から撮影。これを1コマ1コマずつ静止画に切り出しては部屋の壁に映写して写真を撮り,周囲を黒色ペンで塗り潰し,弟のシルエットを修正液で白くして,1枚ずつコンピュータに取り込んでいったという。

 現在のゲーム開発と比較すると,なんともアナログな作業に思えてしまうが,そもそもこの手法は「ロトスクープ」と呼ばれるもので,Disneyが「白雪姫」でも利用した,古典的なアニメーション技法の1つである。Prince of Persiaで主人公が白い服を着ていたのは,「できるだけクッキリと取り込めるよう,背景の黒に対して白を使ったから」という理由だったわけだ。

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主人公「プリンス」の服が白い理由,ついに判明
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 企画開始から3か月が経った1986年11月には,コンピュータ上で滑らかなアニメーション映像を表示できるようになり,Broderbundとも正式にパブリッシング契約を果たす。ただし,当時はまだKaratekaも売れ続け,ロイヤリティも入っており,生きていくのに十分だったというMechner氏は,Broderbundに就職する気は毛頭なかったとのこと。そこで,映画の脚本家よろしく,完全に独立を保ったままの契約が行われたという。北カリフォルニアにあるBroderbundのオフィスには居座りながらも,月収はもらっていなかったというから,なんともほのぼのとした時代である。

 Broderbundに“居を構えて”からは,大ヒットしたピンボールゲーム「Pinball Construction Set」にインスパイアされ,後々の作業を簡単なものにすべく,レベルエディタを開発したりもしたMechner氏。だが,あるとき,「ソビエト連邦から『Tetris』(テトリス)のデモがBroderbundに送られてきたとき,社内で“ハッキング”され,本来なら触れることができないMechner氏の下にもやってくる」という“大事件”が発生。
 「数か月間Tetrisで遊び続けた。その間,ほとんど仕事はしてない(笑)」と,氏は回顧していた。

自前の開発ツールとなるレベルエディタを作ったり,トラップのアイデアを生み出したりするところまでは,順調に開発が進んでいたようだ
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 ともあれ,1987年4月には,「崩れ落ちる床」などといった,Prince of Persiaを面白くしたアイデアもでき上がり,年内にはリリースできそうだというスケジュール感も見え始めたのだが,5月になってまたまた事件が起こる。なんと,ハリウッドに行った友人へ預けていた自分の脚本が,巡り巡って著名なプロデューサーの手に渡り,その代理店から,「Mechner氏の世話をしたい」という,突然の誘いがもたらされたのである。
 第一志望だった脚本家の道が開けたことで舞い上がったMechner氏は,その翌週にはハリウッドに飛んでいたという。

 ……ところがその後,映画化に向けた進展はまったくなく,なんと8か月もムダにしてしまい,結局氏は北カリフォルニアに戻る決意をする。「久々にBroderbundのオフィスに出勤したとき,自分のApple IIが埃を被っているのを見たときの切ない気持ちは,生涯忘れられない」(Mechner氏)。
 そして,1988年1月,再びPrince of Persiaのプロジェクトが稼動し始めた。

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 Prince of Persiaが初めて企画されてから22か月目の1988年6月,順調にレベルのデザインが進んでいたところで,あるときから氏は思い悩むようになっていたという。完成に近づくにつれ,「面白くない」ことが分かってきたのだ。
 社内の仲間に遊ばせてみせても,「お,すごいアニメーションだ」とか「面白いね」と言ってくれるのだが,数分もするとジョイスティックを置いてどこかへ行ってしまう。そのことに,Mechner氏は焦りを覚えていたのだ。

 ちょうどその頃か少し前あたりから,別部門からMechner氏のところへやってきては,「コンバット(戦闘),コンバット,コンバット」と耳打ちをしていく同僚がいた。その名をTony Pierce(トニー・ピアース)氏というが,苛立ったMechner氏は,Pierce氏に「君は分かってないね。これはパズルゲームなんだ。キャラクターアニメーションのためにメモリを食ってるから,2人目のキャラクターアニメーションまでは余裕がない」と何度も説明したのだそうだ。
 だが,Pierce氏はまったく懲りず,日課のように「コンバット,コンバット,コンバット」と繰り返しては去っていく。

切羽詰ったギリギリのときに,イライラの中から生み出されたシャドウマン。仲間との言い合いがなかったら,Prince of Persiaはどうなっていただろう
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 Mechner氏にとって,主人公は,滑らかな動きで移動できる唯一の存在だった。だが,何度めかの言い合いを行っているとき,ふと,「主人公とそっくりそのままの動きをしてくる敵」というイメージが湧いてくる。アートも,肌と衣服の色をそのまま反転させれば,メモリの利用も最小限に抑えられる。
 そう,「シャドウマン」の誕生である。「プレイヤーキャラクターの分身であるがゆえ,攻撃するとプレイヤーキャラクターの体力も減ってしまうので,合体するのが攻略への道」という,エンディングにつながるパズルも完成し,作品に締まりが生まれたのだ。

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 新たに戦闘用のアニメーションを追加制作する必要があったため,3か月だけ高校で習ったという自分のフェンシングの様子を撮影。しかし,あの「インディ・ジョーンズ」のような,エキサイティングな動きは不可能だったので,なんと,1938年に劇場公開された「シンドバッドの冒険」という映画の戦闘シーンを,そのままロトスコープ技法で取り込んでしまった。
 誰の目にも明らかな著作権侵害であり,現在のゲーム業界では考えられないことなのだが,こういったところは,当時のゲーム業界にあった,あっけらかんとした(あるいは“やんちゃ”な)気風を示すものといえるかもしれない。

自分のフェンシングの型はぎこちなかったので,ハリウッドの古典映画からそのままパクってしまうという度胸。よいこはマネしてはいけません
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 こうして,企画からちょうど3年という,当時としては長過ぎる開発期間を経て,Prince of Persiaは,1989年9月にようやくリリースされる。
 がしかし! 発売から1か月時点での総売り上げは,たったの84コピーだった。

Mechner氏の“成功のもと”であり,挫折の理由にもなったApple II
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 不幸なことに,1989年になると,Macintoshが市場へ浸透し始めており,Apple IIはほぼお払い箱。店頭でApple IIのゲームを購入することはほぼできなくなっていた。幻のソフトになってしまったわけだ。
 開発に時間をかけ過ぎたことを反省する時間もなく,翌年にはすぐさまPCやAmigaにも移植されるが,「移植版」ということでゲーマーには見向きもされず,アメリカ国内ではどんなに頑張っても1万本というスケール,大失敗となってしまっていた。

余談ながら,Prince of PersiaのBGMを作曲したのは,Mechner氏の父,Frank Mechner氏だ
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 しかし,我々にはPrince of Persiaが「大ヒット作」として記憶に留められている。これはなぜかというと,初期段階であまりにも売れなかったがために,移植時の自由度を高く設定できた,という裏事情があったようだ。
 例えば,Apple IIのオリジナル版だと13レベルだったのが,日本で発売されたスーパーファミコン版は20レベルというボリュームになっていたりする。このように,さまざまなプラットフォームへ次々と展開されていき,気が付いてみると合計200万本が売れていた……というわけなのである。

 Mechner氏は,「Prince of Persiaを愛してくれたファン,そして僕の知らないところでこのゲームを育てていってくれた各国の開発者達に,本当に感謝する」という言葉で,このセッションを締めくくっていた。
 数々の挫折を超えて名作となったPrince of Persiaは,2003年になって「Prince of Persia: The Sand of Time」として再生され,さらに2010年は映画化も行われた。その脚本にはMechner氏が関わり,長年の願望を果たしてもいるのだ。
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