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小島秀夫監督が“自分の分身のような存在”と評したSF作家,故・伊藤計劃氏とは?「伊藤計劃記録:第弐位相」刊行記念トークショーをレポート
伊藤計劃(いとう けいかく)さんは,KONAMIの「METAL GEAR SOLID 4 GUNS OF THE PATRIOTS」のノベライゼーション「メタルギア ソリッド ガンズ オブ ザ パトリオット」を手がけたSF作家。2007年にオリジナル長編小説「虐殺器官」でデビューし,期待の新人と評されたが,2009年3月に病気により34歳の若さで亡くなった。2008年に刊行されたオリジナル2作目の長編小説「ハーモニー」は,「虐殺器官」とともに伊藤さんの死後も高い評価を得ている。
このトークショーは,伊藤さんの遺したブログのテキストやエッセイなどを収録した書籍「伊藤計劃記録:第弐位相」が,3月に刊行されたことを記念して催された。会場では,司会を務めた早川書房 第二編集部長 塩澤快浩氏をはじめ,KONAMIの小島秀夫監督,SF評論家の大森 望氏,角川書店 メディア局 局次長 矢野健二氏ら,生前の伊藤さんと親交のあった登壇者4名によるトークが繰り広げられた。
なお,このトークショーはニコニコ生放送にて中継されたが,視聴者は延べ2万人超を記録したとのこと。
早川書房 第二編集部長 塩澤快浩氏 |
SF評論家 大森 望氏 |
KONAMI 小島秀夫監督 |
角川書店 メディア局 局次長 矢野健二氏 |
小島監督によると,伊藤さんとの最初の出会いは1998年春の東京ゲームショウにおける「METAL GEAR SOLID」(以下,MGS)のプレゼンテーションで,そのあともさまざまなイベントで顔を合わせていたという。当時は,あくまでもファンだったが,2001年の「METAL GEAR SOLID 2: SONS OF LIBERTY」のプロモーションでは,小島監督が伊藤さんに原稿を依頼するという関係になった。
MGS2の内容はファンの間で賛否両論となったが,小島監督は「伊藤さんがどう思うかが気になった」と当時を振り返る。幸いなことに,伊藤さんは自身のブログでMGS2を絶賛していたが,「これは自分にしか分からない」という旨の記述があったため,いわゆる炎上状態になっていたとのこと。小島監督は「そんな状態でも戦い続けるファンは,なかなかいない」と感謝と賞賛のコメントを述べ,「僕がやろうとすることは,小島プロダクションのスタッフにもあまり理解されない。分かってくれるのは伊藤さんと,矢野さんだけ」と続けた。
しかし当の矢野氏は「最初,僕もMGS2はよく分からなかった。正直,何じゃこりゃと思いました」と告白。矢野氏は,伊藤さんがブログに記した解説を読むことで,MGS2への理解を深めていったという。「伊藤さんは,METAL GEARに関する僕の先生」と,矢野氏は表現した。
また会場では,矢野氏が編集し,2004年に刊行された「METAL GEAR」シリーズの解説本「METAL GEAR SOLID naked」を紹介。この書籍のカバーアートワークは映画監督のカイル・クーパー氏が手がけており,素材として小島監督本人の血液の写真や頭蓋骨のレントゲン写真が使われている。その狙いについて,矢野氏が「METAL GEARを裸にしようと考えた」と説明する一方で,小島監督は「騙されて病院に連れて行かれた」と笑いながら当時の裏話を披露した。
大森氏が伊藤さんの存在を知ったのは,2006年の夏に第7回小松左京賞の選考で「虐殺器官」を読んだときとのこと。その時点で,大森氏はすぐに書籍化できるクオリティだと考えていたそうだが,残念ながら最終的に受賞には至らなかった。そのときのSNSでのやり取りがきっかけで,大森氏は伊藤さんとコンタクトを取るようになったという。
そんな伊藤さんについて,小島監督は「作家志望というよりも,僕と一緒で映像を撮りたい人だという印象を受けていた」と述べる。というのも,伊藤さんは小島監督に自身の著作に関する話をしなかったからだそうだ。その原因を小島監督は,伊藤さんが原作・世界設定を務めた2002年のコミック「Automatic Death:episode 0:No Distance, But Interface.」(ATD)を見せられたときに,「ピンと来なかったので,あまりいい感想をいわなかったからかもしれない」と振り返った。
続けて,大森氏と塩澤氏はATDが「SNATCHER」や「ブレードランナー」の影響を受けていることに言及し,「『虐殺器官』以前の伊藤作品はファンクリエイト色が強く,創作者としての意識は強くなかったのではないか」と指摘した。
しかし,ATD以降,伊藤さんの作品から距離を置いていた小島監督は,「虐殺器官」を読んで作家としての才能にビックリしたという。小島監督は,その才能の開花を,伊藤さんが入退院を繰り返したことにあるのではないかと分析する。すなわち,自らの死に直面せざるを得ない状況に置かれ,ものの考え方がかなり変わったのではないかというわけだ。また小島監督は,「ハーモニー」に関しても「普通の状態の人には書けない内容」と評していた。
なお矢野氏と塩澤氏,大森氏によると,伊藤さんは仕事のメールなどに対する返信がかなり遅かったという。執筆作業に熱中しているためか,1週間後に返事があることもザラではなかったようだ。
ここで壇上は,伊藤さんがなぜ「虐殺器官」を書いた(書けた)のかという話題に戻る。大森氏は,伊藤さんの映画評論に着目し,「ハードルが上がってしまうので,本来なら自分で作品を作るのは向いていない」と指摘。「虐殺器官」に使われるようなネタを参考文献として集めることはできるにしても,きちんとした作家修行をせずに一つの作品としてまとめあげたことが不思議だと感想を述べた。
それを受けた塩澤氏は,2005〜2006年に公開された映画「宇宙戦争」と「ミュンヘン」の2本のスピルバーグ監督作品が,伊藤さんに大きな影響を与えたと分析。塩澤氏は,伊藤さんが「宇宙戦争」を「人がゴミのように死んでいく」「世界が終わる安らぎ」と評したことに言及し,「虐殺器官」の主人公のイメージが固まったのではないかと述べる。さらに「虐殺器官」のクライマックスについては,「ミュンヘン」の“異国での死”という部分が影響していると推測した。また,伊藤さんがスピルバーグについて2008年に記したエッセイ「侵略する死者たち」からも,そうしたニュアンスを感じ取れるという。
その一方で,小島監督は,あくまでも伊藤さんは映画を撮りたかったはずと述べる。というのも小島監督自身,憧れが強すぎて思うような映画を撮ることができなかったからだ。しかし,ゲームはそうではなかった。映画では先人に並ばなければならない,超えなければならないというプレッシャーが働くが,ゲームはある意味,小島監督にとって前例のないものであり,今でも気負うことなく普通に取り組むことができるという。
小島監督は,伊藤さんも同じように,映画に憧れながらブログに膨大な文章を書いていく中で,「映像を思い浮かべながら小説を書いたのではないか」と推測。「小説のフィールドで勝負しようと思っていないからこうなった」と述べ,「出来上がったものが高く評価されたことに,本人が一番驚いたかも」と付け加えた。
それを受けた矢野氏は,MGSのノベライズに際して,伊藤さんがマイナーなノベライゼーションを参考にしながら試行錯誤していたエピソードを披露。そうした,いわば“アマチュアっぽい”過程を経ながらも,最終的に仕上がったものには素人臭さがなく,作家としての天性の才能を賞賛した。
そうしたやり取りの中,大森氏は,一人称を使う伊藤さんのスタイルは本質的に映画よりも小説的ではないかと疑問を投げかける。すると矢野氏が,一度しか観ていない映画でも,一つ一つの場面を詳細な部分まできちんと覚えているという,伊藤さん独特の映画の観方に言及し,「そういった写真的な細部の蓄積と,一人称による表現がぶつかったときに何かが生まれたのかもしれない」と推測を述べた。
なお,生前の伊藤さんは,いわば“神の視点”である三人称視点では切実さを感じられないと述べていたとのことで,「神を信じていない僕らの世代は一人称が向いている」とも話していたという。
あらためて「虐殺器官」の感想を問われた小島監督は,MGS4とネタが被っていることに焦りを感じたと述べる。というのも,小島監督も映画「ミュンヘン」に触発されており,MGS4では粗いフィルム感を再現しようとしたり,プラハへと取材に出向いたりしていたからだ。
矢野氏は「虐殺器官」を最初に読んだときに,「自分のような古いSF読者世代に向けて『さよなら』といわれたような,寂しい気持ちになった」と述べる。「新しいけれども,オーソドックスな部分も残している。でも『君達の世代はもういいよ』といわれた気がした」と話す矢野氏は,その感想を伊藤さんにメールで送ったそうだが「1週間どころか,未だに返事が来ない」と笑っていた。
その一方,大森氏は「『置いていかれる』というよりも,『やっと出たか』という思いが強い」と感想を述べ,「伝統的なSFに今のスタイルが加わり,映画やゲームの要素を上手く取り入れている」と説明。さらには「翻訳SF作品の最新作といっても遜色ない。理想的な今のSF」と評した。
また塩澤氏は「虐殺器官」を「完成度が高く,ソツがない」と評し,文庫化されたことで若い読者層が一気に拡大したと指摘。それを受けた大森氏は,“SFの完成形”といえる内容でありながらも,読後はむしろミステリーや冒険小説を読んだかのような興奮があると述べ,より広い読者層を獲得できることを示唆した。
大森氏の発言を聞いた小島監督は,伊藤さんに「今の時代,SFを宣伝文句にすると売れないから止めろ。同じ内容で,ミステリーといった方がいい」とアドバイスしたことを冗談めかして披露。さらに大森氏も,SF作家の大御所であるレイ・ブラッドベリ氏が,かつて自分の作品をSFとしてアピールすると売れなくなるから止めてくれといっていたというエピソードを披露した。なお,ここでいうSFとは,必ずしも宇宙や未来をテーマにしたものだけを指すのではなく,言葉本来の意味での“サイエンス・フィクション”のことである。
一方,小島監督はカズオ・イシグロの小説「わたしを離さないで」が,大きなヒントになったのではないかと指摘する。小島監督は,ちょうど伊藤さんが悩んでいたと思われる時期に,この小説で使われたテクニックについて話し合ったとのことで,のちに「ハーモニー」を読んだときに「そう来たか!」と思ったそうだ。
小島監督の話を聞いて「腑に落ちた」と話す塩澤氏は,「ハーモニー」を書いていたときの伊藤さんの状況や心理に思いをめぐらせ,「プロットとしてはそれほど目新しくないが,異様な迫力がある」とあらためて感想を述べていた。
また矢野氏は,「最初は『虐殺器官』と比較すると,世界に対する悪意のようなものをあまりセーブしなかったように感じた」と「ハーモニー」の第一印象を述べる。しかし,今読み返すと全然別の感想が沸いてきて,「伊藤さんは本当にこの結論(小説としての結末という意味ではない)を書きたかったのか。本来なら,このあとに『ハーモニー』の結論を乗り越える作品が書かれるはずだったのではないか」と考えるそうだ。
ここで話は,伊藤さんが3作目のオリジナル長編小説として取り掛かっていた「屍者の帝国」へと移っていく。塩澤氏によれば,この作品はフランケンシュタインをモチーフに,19世紀を舞台とした物語度の高い内容で,完成させていれば伊藤さんが作家としてより高いステージに上がれたのではないかと述べる。小島監督も,伊藤さんと最後に面会したときにプロットを教えてもらい,かなり独特の面白い内容になると予感したという。
また大森氏は,「ある意味,『虐殺器官』の頃から残り時間(余命)を気にしていたので,『屍者の帝国』もきちんと書き上げられると考えていたはず」と推測。また,伊藤さんの遺した作品の流れから,SFの原点ともいわれるフランケンシュタインを取り上げたのは必然かもしれないと述べた。
その一方で,小島監督は「入退院を繰り返し,身体の悪い部分を入れ替えていく自分を“サイボーグ”と称していた伊藤さんが,死者を蘇らせて……というネタを書こうとしたのは,今思うとかなり追い詰められていたのかもしれない」とコメント。また,伊藤さんが「METAL GEAR」シリーズの登場人物の中でも,とりわけ改造人間である雷電に感情移入し,自己投影していたエピソードを披露した。
トークショーの最後のテーマは,伊藤さんが日本のSF界に与えた影響について。
大森氏は,「実質2年しか活動していないが,この10年間を代表する大きな影響力を持つ存在」と述べ,「神話として持ち上げすぎるのもどうかと思うが,一人でも多くの人に読んでもらえるなら,それでもいい」と続けた。また「切実さや,今ここにある問題をリアルに提示する手法は,同時代の作家や次の世代にも引き継がれていくだろう」とも述べていた。
小島監督は「古いSF作品や冒険小説のテイストを今の10代に伝えるような,60年くらいの間を取り持つ役割をした人」と表現する。また,伊藤さんがまったく新しい形で世に出てきたことに対しては,「10年近くの間,ネット上で自らの文章を人目に触れさせることで,作家としての洗練がなされていった」と指摘し,「僕らの世代では出てこない,読みやすい文章の書けるバランスの取れた作家」と評した。なお,かつて小島監督が「本を読んでいるとモテる」といったところ,伊藤さんは「そんなことはない」と強く否定していたという。
続いて,登壇者達が来場者およびニコニコ生放送の視聴者から寄せられた質問に答えるコーナーが設けられたので,内容をザッと紹介しよう。
まずはMGSシリーズの今後のノベライズについて。小島監督は,ゲームは,そもそもゲームとして面白くなるよう作っているので,小説や映画にしてもダメと考えているという。そんな中,伊藤さんはゲームで表現しきれない魅力を小説で表現できる稀有な存在だったとのことで,今のところ国内外とも比肩し得る存在は見当たらないそうだ。
伊藤さんの第一印象を問われた矢野氏は,「何て嫌な奴だと思った」と答えた。それまで矢野氏は自分が最も「METAL GEAR」シリーズを理解していると自負していたそうで,伊藤さんが自分以上に“分かっている”ことを認めるのに抵抗があったという。しかし,実際に顔を合わせてみると伊藤さんは非常に腰の低い人物で,矢野氏は「自分は人間ができていなかった」と反省したという。
また伊藤さんの作品を早川書房からリリースするにあたっては,塩澤氏がトークの中でも触れている通り,編集サイドから特に注文をつけることはなかったという。いくつかの点で表現を変えたり,伊藤さんの認識が誤っていた部分を訂正したりといったことはあっても,文章や構成に変更を加えたことはないとのこと。塩澤氏は「直しようがない。入り込む余地がない」と述べていた。
さらに,小島監督の自論である「35歳最高傑作説」についても質問がなされた。この説は,20代から仕事に携わってきたクリエイターが,35歳で最高傑作を作り上げるというもの。すなわち35歳くらいは自らのやりたいことの現実性が見えてきて,周囲から信頼を勝ち得て協力が得られるようになり,さらに予算的にも自由が得られるといった絶好のタイミングというわけだ。34歳でこの世を去った伊藤さんの最高傑作は、ひょっとすると「屍者の帝国」だったかもしれないという話も出た。ちなみに小島監督が35歳のときに作ったのはMGSである。
なお,この説はあくまでも35歳未満の人に送るエールであり,35歳を超えたらダメという意味ではないとのこと。またゲーム開発においては,今は大人数で分業するという手法が主流となっており,若い世代の個人の活躍が見えにくくなっているので,もっと考えなければならないとも話していた。
伊藤さんが今も存命だったらという質問に対して,小島監督は「アイデアや設定を理解してくれる,言葉では表現できない自分の分身みたいな存在。今でも『伊藤さんならどう思うだろう?』と思いながらゲームを作っている」と答えた。
大森氏は,自らが手がけるアンソロジー「NOVA」シリーズに原稿を書いてもらい,星雲賞を狙うのはもちろんのこと,新しい読者獲得に貢献してもらいたかったと述べる。また伊藤さんの影響を受けた作家による変化の波をひしひしと感じていると大森氏が述べると,塩澤氏はそうした才能を発掘すべく,コンテストの開催を企画・検討していることを明らかにした。
最後に小島監督が,「今,伊藤さんの作品がこんなに人気なのに,何で死んでしもうたんや,というどこにも持っていきようのない思いがあります。僕はその気持ちをゲームにぶつけるしかない。伊藤さんが喜ぶようなものを,初心に戻って作っています」と述べ,締め括った。
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