連載
【島国大和】重厚長大なゲームは滅びるか!?
島国大和 / 不景気の波にもがく,正体はそっとしておいて欲しいゲーム開発者
島国大和のド畜生 出張所 |
いわゆる3D立体視対応テレビが新商品ラッシュですが,個人的にはそんなには売れないと思っています。
単価が高いから?ソフトが無いから?
いえいえ,なんというか失礼ながら「このご時世,テレビなんかそんなに一生懸命見たくない」と思うんですよ。
だって3Dメガネをかけて,画面の真正面から真っ直ぐ見る(最近は,視野角の広いものも出ているようですが)なんて面倒くさいじゃないですか。テレビなんて寝転がってポテチ喰いながらとか,だらだらBlog更新しながら見ていたいわけです。
……はて。
最近よく思うのですが,こういった話というのは,今あるすべてのコンテンツのあり方を示してるんじゃないでしょうか。大袈裟かもしれませんが。
そんなわけで,お久しぶりの島国大和です。今回もいろいろと考えてみましょう。
軽薄短小化
音楽は,アルバムCDからMP3になり,一曲単位でのダウンロード販売が普通になりましたし,視聴スタイルも,ステレオスピーカーからイヤホンや携帯電話へと移り変わりました。
動画コンテンツも,映画からテレビに,そしてテレビからYouTubeやニコニコ動画へ視聴は流れています。
ウェブサイトは,自前で作る「ホームページ」からブログになり,今やTwitterです。たったの140文字ですよ。
どれもこれも,大きな塊だったものが断片化していってる印象です。
要するに,現代に生きる人は,みんなまとまった時間がないんじゃないか。多分だけど。
え? 1日中家でゴロゴロしてるって? 羨ましい!……でも,1つのモノに長時間集中するなんてのは,昔に比べてずいぶんと減ったハズです。
だって,今の世の中には面白いものがいくらでもあるので,同じ一つのことに何時間も関わってらんないでしょ。
ゲームだって,ブラウザゲーや携帯ソーシャルゲーなど,まとまった時間を使うのではなく,断片的に短時間遊ぶゲームがムーブメントですよね。
ブラウザゲームを複数立ち上げて,交互に,あるいは順番に遊ぶというプレイスタイルすらあるわけです。
もう世の中「軽薄短小」に向かってまっしぐらですよ。随分と昔のキーワードではありますが,「娯楽の断片化」とでも言いましょうか。
娯楽の断片化のどこがヤバイ?
音楽は昔はアルバム単位で売っていたわけです。気がつきゃ1曲単位,場合によっちゃ着メロでサビだけです。
こりゃ,売上的にはキツイです。世の中売れる数には上限がありますから,何とかして単価を上げたい。でも時流は単価を下げる圧力ばっかりです。
アルバムの事を抱き合わせ商法という事も出来ますが,シングルCDでヒットした曲を中心にアルバムを売ることで,他の“売れ線じゃない”曲が日の目を見るという効果があります。
音楽には色々なハバがあるからこそ,ドカンと受ける曲も出てくる。ヒット作は,さまざまな試行錯誤の中から生まれます。狙い澄まして売れる作品だけを作れるのなら,誰も苦労しません。映画だって,アニメだってそうです。もちろんゲームだって。
だけど今のご時世,「そういうのはもう流行らない」と切り捨てられてしまう。先の音楽の例でいえば,1曲単位の販売では,「幅を許すだけの環境」が作れないわけです。一曲単位で買える!というと,良いことのように聞こえますが,商売をする側からすると,とても厳しい(最低限のコンテンツしか買ってもらえない)話でもあります。そしてそれが巡り巡って,ユーザーさんにも影響(市場の縮小とそれに伴う質の低下など)をおよぼすわけですよ。
そもそも。歴史的な大ヒット作品の中には,登場した直後では泣かず飛ばずだった例は少なくないんですよね。「宇宙戦艦ヤマト」も「機動戦士ガンダム」も,初回放映当時は打ち切り扱いだったんです。だけど,それが今では歴史に残る大ヒットプロダクツなわけですから。
ただ,ああいう後世に巨大な影響を残す作品が,いわゆる「断片化した娯楽」から生まれてくるかというと,一部の特殊な例を除いては難しいんじゃないかと思います。
例えばWeb界隈の流れにしても,昔は結構資料的な価値のあるサイトは多かったし,Blogが流行った頃は,よくまとまった素晴らしい文章も多かったと思うんです。それが今や,TwitterやTumblrの断片情報が主流になりました。確かに気軽ではあるけれど,それと同時に失ったものも多いと思うのです。とにかく読み捨て前提ですしね。
悪貨が良貨を駆逐していく……と言うと,ちょっと語弊があるかもしれませんが,コンテンツの軽薄短小化,娯楽の断片化が進む裏では,そういう寂しい状況も生まれてきてるわけです。
重厚長大なゲームは生き残るか?
ゲームに話を戻します。
最近のゲームは,開発費50億円超えの大作がゴロゴロしています。重厚長大ですね。50億円使ってゲームを作るには,当たり前ですが,50億円以上の利益が必要になります。さらに言うと,コンテンツは「水物」でヒットするかどうかは分からない。要するに「博打」なんですね。それも大博打。会社的には「高リスク」ということです。
じゃあもうちょっと安く作るかって話もあるんですが,ゲームが同じ値段で売られている以上,遊ぶ方は開発費が10億だろうが100億だろうが知ったこっちゃありません。開発費がライバル会社の1/10でも,ユーザーにはライバル会社と同じようなクオリティが求められます。
一応補足しておきますが,開発費の差を努力と根性で埋めるのはまあ無理です。開発費が潤沢な方だって努力と根性で作ってますから。
そうなると,他が手を出しておらず,なおかつ売れそうな方向で1点突破を図るくらいしか手が無くなります。こりゃまた大博打ですね。
安く作ったとはいえ,数億円単位のプロジェクトともなれば,十分に重厚長大な作品であり,ビジネスとしてもリスキーです。
そんなわけで,大作ゲームの1/10のゲームのさらに1/10の開発費で何億と稼ぐソーシャルゲームなどから見ると,いわゆる旧来のゲーム製作は,この人達アホじゃない?ってレベルのリスキーさを伴っているわけです。もう,重厚長大なゲームを作る必要性がどこにあるのかが分からなくなってきました。
だから重厚長大なゲームを作っていたところも,ここで言うところの軽薄短小なゲームに手を出しつつあります。っていうか手を出しています。
まいったなー!重厚長大なゲームにも生き残って欲しいんですが!
このままだと,映画でいうハリウッドの超大作クラスぐらいしか生き残れませんよ。
重厚長大なゲームには生き残ってほしい
ちなみに。
戦艦大和の主砲は46cmです。既に当時の技術は失われており,同じ工法では再現が出来ないと言われています。
日本刀は,現在に残っている技術は江戸以降のもので,戦国時代の刀鍛冶の技術は失われているそうです。
何が言いたいかというと,
使われなくなった技術は失われるんですよ。それもかなり簡単に。
自分も何本か関わらせてもらった事がありますが,「どういう手順で作るか」「どこまでをプログラムで行い」「どこからはスクリプトでやるか」に始まり,「実機で動作していない段階で,どう先行してデータを作るか」「大人数プロジェクトをどう回すのが効率的か」など,ノウハウは多岐にわたります。
ちっこいゲームは天才が一人いれば作れますが,プロジェクトの規模が一定のラインを超えると,どうしてもそういったノウハウが必要になっていきます。
戦闘とフィールドとイベントが,てんでバラバラなのは,大人数でバラバラに作る為の場合が多いです。横に広げる事で工期を短縮し,パート毎の見通しを良くする。戦艦大和で言う所のブロック工法ですね。
例えば海外の市場を見て,「あのジャンル流行ってるから似たの作ろうぜ」ってのが,なかなかうまくいかない理由も説明できます。
例えば日本刀は,砂鉄,玉鋼を炭で熱するところから始まり,何度も折り返し叩いて鍛練し,火作り,土置き,焼き入れ,樋入れと,複雑な工程を経て一本が生まれます。完成品だけを見て,同じものが作れるかと言えばそうはいきません。
最近の複雑怪奇なゲームは,そういう域に達しつつあるわけです。「あのゲームパクろうぜ!」といってパクるのは,実は結構難しい。一部のブラウザソーシャルゲームは,恐ろしい勢いでパクりパクられが繰り広げられていますけどね。
ただ,簡単そうに見えるジャンルですら,キモは別の所にあったりします。完成品を見りゃかなりのことがわかりますし,ソースがあればほとんどのことがわかります。しかし,それでも残らない技術ってあるんですよね。
偉そうな話ついでに言ってしまうと,私は現在の「軽薄短小化」「断片化」の行き着く先に,大きな危機感を抱いています。より具体的に言えば,それは2つの危機感です。
1つは,「一度失われた技術/ノウハウは,高コストになってしまう」こと。
2つめは,「一度失われた市場は復活し難い」こと。
現在,ステレオコンポはまったく売れないと聞きます。ミサイル戦が主流のご時世,大和の主砲は不要ですし,日本刀を脇に差して道を歩いてる人はいません。
でもね。レコードマニアに言わせればCDですら“酷い”音質だったのに,MP3なんて圧縮のせいで,音としては相当にチープになっているわけですよ。レコーディングの現場ですら,圧縮前提で単調な音の割り振りをするそうですから。
むやみやたらに昔を懐かしむというわけではないのですが,個人的な感傷を差し引いても,かつてあった「良かったもの」は確実に失われているわけです。
……でも,それって哀しいことじゃありませんか?
ゲーム開発者である前に
しかしそれは,時代の必然がそうさせるだけで,それが儲かるかというと少し怪しい気がします。だって,YouTubeにしろニコニコ動画にしろ,リソース(コンテンツ)は他人の著作物なわけですし,コンテンツそのものを作ってる人は儲かってないわけですから。
ゲームのような自前の著作物を作っている側が,それを断片化して,小型化するまではよいのですが,さらにそこで儲ける道はなかなかないですよ。少なくとも現状では,商いの規模が小さすぎます。
世の中には無料ゲームが沢山あります。断片化する方向にある作品は,それらと競う事になります。大きな商いをしているソーシャルゲームは周りをガッチリ固めてますし,宣伝費もハンパじゃない。そもそも,開発会社が儲かってるかというと,そこもなかなかグレーですからね。
ゲームに限らず,現代においては,あらゆる分野で「ファーストフード化」が起きていると思います。安さと手軽さに金を払う。しかし実は,そんなに安い訳でもないという。この流れに抗うのはなかなか難儀です。
一方で,老舗の料亭は,固定客を失えばもう立ち行きません。素晴らしい料理は,その調理法と職人を失えば食べられなくなります。
自分は,ゲーム開発者である前に,一ゲーマーでもあると思っています。そしてゲーマーの立場からいうと,いろんなゲームが遊べる状況が望ましいんですよね。ファーストフードも食いたければ,老舗の味も堪能したい。町の惣菜屋も捨てられぬ。ゲーマーとしての本音を言うとそんなもんです。
……というわけで,今回はちょっとばかり感傷的に話を進めてみました。相変わらずオチらしいオチもありませんが,この辺で。
■■島国大和■■ 有名ゲーム系Blog「島国大和のド畜生」の管理人で,不景気の波にもがく,正体はそっとしておいてほしいゲーム開発者。ゲームがクソゲーになる理由のトップは「船頭多くして船山に登る」だという島国氏。まぁゲームに限らず,責任の所在が明らかではない,分散している組織というのは,動きが鈍くなるものですよね。とはいえ,社長独裁のワンマン体制とかだと,それはそれで社員やスタッフそれぞれの持ち味を十分に引き出せなくなります。……世の中,何事も適度なバランスが大事なんでしょうねぇ。人間社会って難しい |
(C)創通・サンライズ
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