連載
ゲーム翻訳最前線:第8回は福市恵子さんと「チコリー 色とりどりの物語」。性別の設定がないキャラのセリフ,どう訳す?
本連載「ゲーム翻訳最前線」は,海外ゲームの日本語化を担うさまざまなゲーム翻訳者の皆さんにご登場いただき,ローカライズに頭を悩ませたフレーズについて,訳決定までの思考回路を解説してもらう企画だ。プレイヤーの皆さんも翻訳者になったつもりで,「このシーンはどう日本語にするのがいいだろう?」と考えてみてほしい。最後には記事中に登場した重要単語をまとめるコーナーもあるので,ついでに英語学習もしてみよう。
第8回は,「UNDERTALE」などの翻訳で知られる福市恵子さんが,「チコリー 色とりどりの物語」(PC / PS5 / Xbox Series X|S / Nintendo Switch / PS4 / Xbox One)を紹介する。性別設定のないキャラクターの言葉,歌詞の翻訳など,「チコリー」という魅力的な作品だからこそ生まれたローカライズ上の悩みとは?
4Gamer読者のみなさん,こんにちは。福市恵子と申します。ゲームを翻訳して暮らしています。毎日,とても楽しいです。今日は,そんな中でも特に訳していて楽しかったゲーム,「チコリー 色とりどりの物語」(開発:Wishes Unlimited,日本語版ローカライズマネジメント:ハチノヨン)のローカライズ裏話をおすそわけしつつ,このゲームの魅力についてもお伝えできたらと思います。よろしければ,どうぞおつきあいくださいませ。
主人公に性別がない!
「チコリー」をご存じない方のために,どんなゲームかざっくり説明しますと,「誰もが心の中に持っている,クリエイターの種を芽吹かせてくれるゲーム」です。ゲーム内に登場するオブジェクトやキャラクター,すべてに色を塗ることができ,背景には自由に絵を描くこともできます!
愛らしいキャラクターたちが織りなす世界はとてもあたたかく,それでいて,そこで語られるストーリーには,心の深い部分をがっちりとつかんでくる強さがあります。やり込み要素までコンプリートしようと思ったら,いくら時間があっても足りないかも……。自分がかかわったことを抜きにしても,心からおすすめの名作です。
さてさて。いきなりですが,このゲーム,主人公に性別がありません。
このひと。
男の子でも女の子でもない。ノンバイナリーとも言われていない。いや,実際にはなんらかの性別があるのかもしれない……けど,プレイヤーさんが感情移入しやすいように,性別を特定しない形で訳してほしいと,開発者さんからご依頼があったのです。えー……。このひと,めっちゃいっぱいしゃべるんですが……。
まあでも,日本語は便利なもので,主語がなくても(だいたいは)大丈夫。話者の性別は,ふわ〜っとごまかせる(だいたいは)。
こんな感じに。
「まあ いままで ほとんど 外に出たこと なかったけど」
(「ワタシは」「ボクは」って言わなくても,誰の話か通じるから主語いらない)
なので,「あ,なんだ,楽勝,楽勝。ぜんぜん大丈夫〜」と調子に乗って訳していたら……やっぱり出ました,落とし穴が。
この“wielder”というのは,ゲームの中に出てくる不思議な絵ふでを使える特別なひと,「絵ふで使い」のこと。「ボクが(orワタシが)その,新しい絵ふで使いです」,と言ってるわけですね。うーん……。ダメだな……ここはどうやっても,一人称を使わないと言えない……。「自分がその,新しい絵ふで使いです」にする? なんか自衛隊員さんみたいになっちゃうよな……。そうじゃないんだよな〜〜……う〜〜ん〜〜。
しばし考えて,思いついた卑怯な手がこちらです。
「何をかくそう 新しい絵ふでつかいは この ワタクシですっ!!」 |
「そうです,ワタシが,ヘンなおじさんです」みたいに,ジャジャ〜ンと発表してもらうことにしました。たまたま,「えっへん!」とエラソーに宣言するトーンがはまるシーンだったから,よかったですね。……フゥ。
もひとつ。
「あなたのことは お姉さまから 何度か 話を聞いてるわ」 |
これに対する主人公の返事が
クレメンタイン(上のスクショの左端のコ)は,主人公のお姉さんじゃなくて妹だと明かされるシーン(わりとビックリする)。一人称を使えないから「ワタシ/ボクのほうが」とも言えないし,性別を明かせないから「姉/兄です」とも言えない……。どうしよう……。これは困りました。
そして,こう逃げる。
「クレメンタインは 妹だよ」 |
「年下だもん」 |
2文目も妹ちゃんの話にしてしまいました。
他にも,苦しいところはいくつもありましたが,そのたびにあの手この手で裏ワザを使い……なんとか全編,逃げ切ることができたのでした。めでたしめでたし。
じつはこのゲーム,他の言語版では,最初に「男女どちらとして呼ばれたいか」を選択する項目があるのです。ただし,これは男女によって文法が大きく影響を受ける言語(フランス語とか)のためにシステム側で設定をする目的のもので,日本語の一人称を性別によって変えるといったことは,想定されていなかったのでした。
なので,基本一人称を使わない形で進めて,どうしても一人称がないと厳しい,となったら,改めて開発に相談しましょう,というご指示を,ハチノヨンさんからいただいたのです。
だから,本当にどうっしてもダメだったら,「ちょっとムリです〜」と白旗を上げる手も,なくはなかったんですね。とはいえ,翻訳者としては,自分の技量が足りないせいで開発者さんに余計な手間とご迷惑をかけることは極力避けたい。
というか,何か別のところで,「これだけはどうっしても譲れない!」というめんどくさいお願いをしなきゃいけなくなるかもしれないので,がんばればなんとかなるところは,極力がんばってなんとかしたいわけです……。これって,ゲームのローカライズ現場では意外と大事なポイントだったりするのですよね……。
この「チコリー」には総勢100人ぐらいキャラが出てくるんですが,主人公以外にも性別がないひとがわんさかいます。男の子,女の子,どちらでもない子。おじいちゃんおばあちゃんからお子さままで,とにかくいろんなキャラが出てくるので,自分に似てるひとや,お気に入りのひとが,きっと見つかるはずですよ!
歌詞を訳す! 歌えるように!
さて。このゲーム,しばらくプレイすると,突然ミニゲームが始まります。
「それじゃ この試練のしめくくりとして…」 |
「いっしょに歌を歌うよ」 |
リズムゲー!
ということは……? 歌詞を訳さないといけない! しかも,歌えるように……!
歌詞の翻訳って,とにかく難しい。そもそも歌詞というのは,わざと意味をあいまいに書いてあったりするものです。それを,日本語で意味が通るようにするだけでも難儀なのに……今回は歌えないといけないなんて……。とほほほほ。
英語では,一音に一音節を当てはめることができるので,一音節しかない単語なら,そのまま一音で言い切れるわけです。
ド〜〜〜/Shine〜〜〜
みたいに。
これが日本語だと,
ド〜〜〜/ひ〜〜〜
基本,一音に1つの音しか入りません。「ひ〜〜か〜〜る〜〜」と言いたかったら,三音ないとダメなわけですね。
今回のお歌の場合。英語版の歌詞の出だしは,こんな感じ。
ふむふむ。「山の頂上に立って見下ろしたら,世界はとっても小さく見えた」,と。
一方の日本語版の出だし。同じところまで歌ってみましょう。
たどりついたところまでで終わってしまいました……。こんな感じに,日本語では歌詞の中で言えることがめちゃんこ減ってしまうわけです。そんな制約に頭を悩ませながら,英語版の内容の骨子は保ちつつ,かつ,歌って楽しい歌詞になるように,お風呂の中で何度も口ずさんでみたりして,がんばって仕上げました。
ゲーム内では主人公とチコリーがかわいい声で歌ってくれるんですが,その音と日本語の歌詞が絶妙にシンクロしてる気がして,こればっかりはもう完全に偶然なんですけど,翻訳の神様ありがとう,と思った瞬間でした。
ちなみにこの曲,エンディングソングにもなっていて,エンドクレジットのBGMではEmi Evansさんが歌う別バージョンが流れます。歌詞は同じなんですが,ディズニー映画のように,曲調が少しオトナな雰囲気のアレンジになっていて,せっかくすてきな歌詞なので,歌えるバージョンとは別に訳をつけたいと思い,開発者さんに頼み込んで,日本語版には特別に字幕を出してもらうことにしました。
システム的には少し難しいお願いだったようで,表示タイミングを合わせるのが難しいなど,確認作業も苦労したのですが,ここは先ほど申し上げた「どうしても譲れないところ」! 開発者さんにご尽力いただいて,無事実装してもらえました。このエンディングでの日本語字幕は,「読んでもらう訳詩」として訳しています。歌える歌詞で省かざるをえなかった情報を,字幕にはできるだけ組み入れたいという思いもありました。クリアしたら,ぜひ歌詞の違いに注目してもらえたらうれしいです。
メンタルヘルスを扱った,みんなにやさしいゲーム
このゲームを訳していたときは,コロナ禍まっただ中でした。世界中みんながもれなくしんどかった時期。私もだいぶ心をやられて,今思い返してもなかなかにツラい日々を送っていました。そんなときにこのゲームに出会って,セリフひとつひとつを噛みしめるように,自分に言い聞かせるように訳せたことは,まるでセラピーのような体験だったなと,今も懐かしく思い出します。
登場人物たちの置かれている立場が自分と重なって,とても他人事には思えなくて,大事な友達や家族が自分に語りかけてくれているような気持ちになりました。そんなゲームを生み出してくれた,ディレクターのGreg Lobanovさんを始めとする開発チームのみなさんには,いちゲームプレイヤーとして心から感謝しています。
この作品をプレイして救われる人,きっとたくさんいると思います。作り手の思いが伝わってくるすばらしいゲームなので,興味を持った方はぜひ遊んでみてくださいね。
brush 筆,絵筆
wield (魔法の杖などを)使いこなす
「チコリー 色とりどりの物語」公式サイト
- 関連タイトル:
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Chicory: A Colorful Tale(C)2023 Greg Lobanov. All rights reserved. Finji and regal weasel and crown logo are trademarks of Finji, LLC.
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